ブックレビュー④

いい本と出会いました。全部で4冊です。
⒈『遺伝子スイッチ•オンの奇跡』
⒉『「ありがとう」100万回の奇跡』
両著とも著者は、工藤 房美さんです。出版社は、風雲舎。深刻な状態の癌が消えていくという体験がつづられいます。

その工藤さんが病床で読んで、人生が変わった本が次の2冊です。
⒊『生命の暗号』
⒋『生命の暗号②』
サンマーク出版で著者は村上 和雄です。

これからの臨死体験(終)

実は私たちの死亡率は100%なのでした。今までも、今も、これからもこの死亡率は変わりません。まわりにいます?852才とか617才の知人が。
私たちは全員、死にます。その時がやってくるのは、やがてだったり、いずれだったり、そのうちだったり、突然だったりします。それを免れることはできません。ところで、このマヌガレルとは、できれば避けたいという心理が働いている言葉です。
ブッダも、生きて行くこと、老いること、病むこと、死ぬことの生老病死を避けることのできない四苦として、さらに別の四つの苦を見つめて八苦、文字どおり四苦八苦して悟りに至ったのでした。

ここでいう私たちとは、世界中の生きている物たちのことです。中でも、特に揺れて生きているのが人間という生物だといわれています。揺れずに生きて行きたいと思うからなのか、樹齢千年、三千年の屋久杉という植物を見つめて心が打たれてしまう私たち人間。だったらしばらく心が打たれたままにいましょう。さらにしばらくすると、あなたの揺れが、一瞬止まります。止まると見える。堂々として動かないように見えた屋久杉の、その葉が風に揺れているのが見えてきます。

私たちの心は、言の葉でいっぱいです。その言の葉は何に揺れているのでしょう。この世に揺れています。そういう揺れる言葉を集めたものが、万葉集。そこでは、当時のこの世の人たちが別れに揺れ、恋に揺れ、寂しさに揺れ、喜びに揺れ、哀しみに切なさに揺れています。今となっては、詠んだ人も詠まれた人もそのどちらの人もすべて旅立ちました、あの世に。

さて、あの世はあるのか、それともないのか。昔から続いている論争です。今後もその解釈をめぐって議論は続くことでしょう。ここでは私は解釈をせずに翻訳を試みます。まず、あの世の前に順序としてこの世を観てみますと、あらゆる物すべてが存在するのがこの世です。だからこの世には、疑問も答えも神秘も秘密も不思議も全部あるのです。もしこの世から疑問がなくなったら、すべてがあるのがこの世なのですから、この世ではなくなります。それは答えでも不思議でも同じことで、とにかく一つでも欠けたらこの世ではなくなるのです。だから今後もあの世論争も存在します。

では、あの世というものを翻訳します。1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見する前からアメリカ大陸はありました。地球物理学でいえば、何億年も前からあったのです。でも中世ヨーロッパの人びとには、ないものでした。知らないとは、存在しないことですから。同時代の日本人の意識にもアメリカ大陸は存在していませんでした。今では、一万年前や十三万年前のアメリカ大陸に少数の人がいたことがわかっていますが、実際にいたその人たち以外の人には、アメリカ大陸はなかったのです。もっとも、実際にいたその人たちも、そこがアメリカ大陸だという意識はなかったでしょう。あの世という存在とソックリです。

これからは、人は死ななくても臨死体験をすると私は言いました。それを実感するには、死を解釈するのではなく翻訳することだとも言いました。その本題に入る前に一言。脳という器官、私にいわせれば究極の筋肉、その固まった脳筋肉をストレッチしてもらうのに格好の材料をみなさんに提供します。大陸です。岩でできている大陸に思いを馳せて下さい。岩といえば固体ですが、古大陸って聞いたことありませんか。パンゲア大陸やゴンドワナ大陸などのことです。古大陸が動いてできたのがヒマラヤ山脈だったり、南北アメリカ大陸です。ということは、岩は動かない固体ではなく、時間をかけて動く液体だということです。時は流れるといいますが、もはや大陸も流れるというのが時流のようです。

地震列島日本。地殻変動が多いからそう呼ばれるように、地球の10数枚のプレート(地球の表層を構成する岩盤)のうちの4枚が日本のすぐそばでぶつかり合っています。4枚とは、フィリピン海、ユーラシア、北米、太平洋の各プレートのことです。それらがぶつかり合うのは、固体である岩盤が液体として流れている証拠です。時おり地面が揺れるのですから、私たちの人生が揺れるのは当然。揺れるのは生きている証し、生きるとは時おり揺れるということ。あなたが固体だと思っていた脳が実は筋肉で、揺れ動く液体だったことを思い出しますように。

本題に入ります。
実は私たちの臨死体験率は100%です。なぜなら、私たちは死ななくても臨死体験をしているからです。今まではどうだったかというと、臨死体験しているのにそれに気づかなかった。今は、そのことに気づく人が出始めてきました。そしてこれからは、臨死体験を実感する人が増えてくるでしょう。コロンブスが船に乗ってアメリカ大陸を発見したように、アニータがあの世に乗ってこの世を発見しました。ヨガの流派の中には、私たちは毎晩死に、毎朝生まれると教えていることは前に書きました。私の経験では、人は毎晩毎朝どころか瞬間瞬間に生と死を行き来しています。

では、死というものの翻訳をします。それは同時に、あの世というものの翻訳でもあります。アニータは臨死の際、すべてが許される天国の心地よさを味わいながらも、ある居心地の悪さを実感しました。彼女は死んでみて初めて、なぜ自分は癌で死んだのかを理解したのでした。それを生前の世界の人に伝えずに去って行くことはできない。だって、私がさっきまでいた世界の人は誰もそのことを気づいていないから。同じように、愛する人をただ悲しませるだけの去り方はできない。そう思ったアニータは、居心地が悪いと感じたあの世から居心地の良いはずのこの世に生還してきたのです。

この場面は極めて注意深く観察する必要があります。アニータが深く理解したことを、生前の世界の人の中で特に伝えたかった人が、そこにいるからです。
そことは、この世。その人とは、この世に戻って来たアニータ本人のことです。そうして生き返って来たことは取りも直さず、アニータが悲しませたくないもっとも愛する人のためでもありました。アニータがもっとも愛するその人とは、アニータ本人のことなのでした。人は自分を愛してよかったのです。

今、あなたが日々に居心地の悪さを感じているのなら、あなたは臨死体験の真っ最中なのかもしれません。もしそうなら、そこから生還して来てはどうですか。だってそこは、あの世かもしれませんから。私たちが当たり前に思っているこの世が、もしかしてあの世だとしたら? だとしたら、この世とはどこでしょう。
あなたには、戻って来るという選択があります。どこに戻るかというと、本来のあなたという所にです。そもそも居心地が悪いと感じてしまうのは、私たちが本来の自分からずいぶん遠ざかってしまった今の自分に気づいているからです。

アニータはがんばって生きてきました。でも、実際に死んでみて彼女が深く理解したのは、自分というオリジナルを生きてはいなかったということでした。アニータが生きて帰ってきて始めたのは、やり直すこと、つまり本来の自分に戻ることでした。

だんだん空いてくるお腹。
生きているからこそ空いてくる。
空腹は最高のスパイス。
今度はなに食べようかな。

だんだん重くなるまぶた。
きのうも寝たのにまた眠くなる。
毎日とは最高のベッド。
今夜はどんな夢かな。

これからの臨死体験(11)

私の母と兄が体験した臨死を知っている人は、数が限られていました。親族、友人、知人のせいぜい数十人だったでしょう。今はその数が少し増えました。これを読んでいる人の分だけ。でも、当時は臨死体験という言葉すらなかったのですから、母も兄も体験を語るとき、言葉を選び慎重に人を選んだことでしょう。おかしな人、今で言えば危ない人と思われたくなかったでしょうから。

では、今はどうでしょう。この『これからの臨死体験』を読んでいるあなた、あなたは抵抗をそれほど感じなかったのではありませんか。それどころか、あなたが本屋に行って臨死体験の本を見つけるのにも苦労はしないはずです。精神世界、言うところのスピリチャル系のコーナーに立ったあなたは、その数の多さにむしろどの臨死体験の本にしたらいいのか迷うことでしょう。そういう所へアニータ・ムアジャーニの登場です。彼女の体験によって、臨死は次のステージに入りました。

まるで私たちのために1度死んで、再び生きて帰って来てくれたとしか思えないアニータの旅。彼女の『喜びを持って人生を生きる!』『もしここが天国だったら?』の2冊の本は、死後の旅の道案内ではなく、生きて行く旅のガイドブックです。
死ぬことを『旅立ち』とも言います。それは、どこからどこへの旅なのでしょう。この世からあの世へと言う人もいます。いや、死とは何も無くなること、その人のすべてが消滅するのだと論じる人もいます。では、1度死んで再び生き返った人は、消滅したものが再び発生したということなのでしょうか。

いいえ、消滅もしていないし発生もしていないのです。人に限らず、物はずっとあるのです。ただ形を変えているだけなのです。科学の最先端である量子力学は、その事の観察の成果だと言えます。私たちに見える状態が粒子、見えない状態が波動で、量子はその両方を持っていると量子論は説きます。「天国とは、場所ではなく状態のことでした」とアニータもユーチューブで語っているのは、単なる偶然ではありません。是非、あなたもそのスピーチを目撃してみて下さい。

ユーチューブをすぐに見る人、少しあとで見る人、後日に見る人、スマホやパソコンがないのでそもそも見ることができない人。どの立場の人にも、ひとつだけ言える重大な事があります。人が見ようが見まいが、アニータの映像はユーチューブの中に存在するという事です。そして、見た人は映像(粒子)として、見ない人や見る事ができない人には私の話(波動)としてアニータをとらえるでしょう。
「話が見えてこない」
時おり耳にするコメントですが、なかなか示唆的です。

盲目の画家で、チューブから出した絵の具に触っただけで色が分かる人がいます。もちろん、クレヨンやクレパスは指で持つのでそのまま色を使い分けて描きます。
2015年9月21日のブログ『音のいる場所に耳を澄ます』、同じく10月2日『見えない闇を観る』で私は、観音様について書いています。カンノンであって、ブンオン(聞音)でもチョウオン(聴音)でもありません。音を観るのです。この世あの世の、音を観察することを修行としている人、観世音菩薩。

さて、新しい臨死体験です。
死ななくても臨死体験をすると私は言いました。
ところが私がわざわざ言わなくても、実はすでに私たちの誰もが臨死体験をしているのでした。それを実感するためには、「死」をどうとらえるかが鍵になってきます。
次の最終回で私たちは、「死」の解釈ではなく「死」の翻訳をすることになります。

これからの臨死体験 (10)

兄の臨死体験から40年以上の時間が経って、2006年2月にアニータ・ムアジャーニは臨死体験をしました。私の母にいたっては、その半世紀近く前に体験しました。その間に社会がどれほど変化したことでしょう。

かつて私たちは、歩きながら話しをしました。すぐそばを一緒に歩いている人と。今は違います。歩きながら話している相手は、そこにいない人です。そばにあるのは、ケータイです。
かつて私たちは、紙(便せん、ハガキ)にペンや鉛筆で文字を書き、手紙にしてポストに入れました。今は指でメールを打ちます。ケータイはあっても、そこには筆記用具はありません。
かつて私たちは、初めての場所に地図やメモを片手に行きました。電柱や知らない家の郵便受けに表示された住所と照らし合わせながら歩きました。今はGPSを頼りにどんな所へもたどり着きます。

今、ケータイを持っている人は何人いるでしょう。数える気もしないほど多いことははっきりしています。『100匹目の猿』現象とは、どのようなものも一定の数を超えると一気に別物に変化していくことでした。水という液体が0度になると氷という固体に変化する氷点、同じ水が100度になると水蒸気という気体に変化する沸点。この現象は臨死体験の世界にも変化をもたらしています。
私は前回に、臨死体験をする人が2種類にわたって増えてきていると言いました。
一種類めは、西洋医学が救命の精度を上げてきたことです。昔は助からなかった生命が、今では文字どおり救われています。これからもその数は増すでしょう。
では、もう一種類とは何でしょうか。それが、今後その数を増やしていく『これからの臨死体験』だと思うのです。

友人から、ある日電話がありました。アニータの本を絶賛した後、彼は私にこう言うのです。
これまで何冊も臨死体験の本を読んできたが、アニータのようなケースは生還後の活動も含めて、今までなかった。やはり臨死体験にもその人のレベルの違いがあるのだろうか?
私は言いました。レベルの違いはまったくない。その時代の人びとの意識の量が、その時代の臨死にも影響をおよぼす。これからは、死ななくても臨死体験をする人が増えてくる。

これからの臨死体験 ⑼

それは、『臨死体験をする人がこれから増えてくる』ということです。しかも2種類にわたって増えていくでしょう。そして実際にそれは増えてきています。その実例を見逃さないためには、私の母と兄とアニータの臨死体験の共通点と違いを振り返ってみる必要があります。

まず一つ目の共通点は、母とアニータの視点です。2人は臨死中に自分とまわりの人を眺めています。身内、看護師、医師の動きを見ています。
二つ目の共通点は、2人の思いです。私はどうしたのかしら?私は愛する人を残しては逝けない。彼女たちは、不用意の死に納得をしていません。
三つ目の共通点は、生還したあと、2人とも肉体的にさほど苦しみませんでした。なぜなのでしょう。

私の母は結核の末期、アニータは癌のステージ4のBつまり末期です。2人とも長期の闘病生活でほとんどの体力を消耗した上で死んでいきました。生き返った時の2人は、残り少ない体力をフルに使って心臓を動かし横隔膜を上下させ、肺から二酸化炭素を出したあと酸素を入れました。つまり2人には、呼吸する以外は苦しむ体力も残っていなかったということです。

一方、私の兄の臨死体験は2人と大きく違っています。まず、視点です。兄は光の方を見ています。倒れている自分の肉体を見ていません。それどころか、私やバンドのメンバー、スタッフの方を見ていないのです。
では、二つ目の兄の思いはというと、光に包まれた感覚だけです。至福の時を味わっていました。
三つ目の、生還後の肉体的なコンディションになると、兄は苦しみの極致を体験しました。5時間にわたって吐血を繰り返し、文字どおり身もだえしたのです。

この大きな違いを一つひとつチェックしていくと、あることがわかってきました。臨死体験という場面の広大さです。臨死状態の世界の広さとでも表現したらいいのでしょうか。その人その人で、見え方が違うということです。もちろん感じ方も。整理します。

私の母とアニータは闘病生活を送りながらも病状が悪化していき、死を考えないわけにはいかなくなっていった。臨死の時、2人とも死を自覚した。でも、このまま死んで行っていいのかと自問し、それは困るので戻ることにした。
一方、兄は死に気づかなかった。だからなのか兄は光に浸り光を味わい、そこがどこかは問題にならなかった。私と仲間に引き戻されて、あとであれは死だったのだと自覚した。
兄は死に始める直前まで闘病生活をしていない。ということは、音響機器の試作に4日連続徹夜したとはいえ、闘病に比べたら体力は存分にあった。体力とは、生命力の大事な材料こと。その材料は燃料にもなるので、兄は生還したあと燃料をたっぷり使って痛みを感じ苦しんだ。

ここで、アニータと私の母と兄の最大の共通点を確認しておきます。それは、3人とも1度死んで生き返ったことです。そしてもっとも異なる点は、アニータは死んだ時この世の仕組みがわかり、人はなぜ病気になるのかも理解しました。そしてそれを本にして発表したのです。一方、母と兄の場合は、臨死体験をひとつの不思議な思い出として人生を生きました。

この違いは見逃せません。ここで、以前に私が書いた『100匹目の猿』(2016年12月26日付け)を思い出して欲しいのです。その上で、臨死体験は発火点まで来たことを語ります。