実は私たちの死亡率は100%なのでした。今までも、今も、これからもこの死亡率は変わりません。まわりにいます?852才とか617才の知人が。
私たちは全員、死にます。その時がやってくるのは、やがてだったり、いずれだったり、そのうちだったり、突然だったりします。それを免れることはできません。ところで、このマヌガレルとは、できれば避けたいという心理が働いている言葉です。
ブッダも、生きて行くこと、老いること、病むこと、死ぬことの生老病死を避けることのできない四苦として、さらに別の四つの苦を見つめて八苦、文字どおり四苦八苦して悟りに至ったのでした。
ここでいう私たちとは、世界中の生きている物たちのことです。中でも、特に揺れて生きているのが人間という生物だといわれています。揺れずに生きて行きたいと思うからなのか、樹齢千年、三千年の屋久杉という植物を見つめて心が打たれてしまう私たち人間。だったらしばらく心が打たれたままにいましょう。さらにしばらくすると、あなたの揺れが、一瞬止まります。止まると見える。堂々として動かないように見えた屋久杉の、その葉が風に揺れているのが見えてきます。
私たちの心は、言の葉でいっぱいです。その言の葉は何に揺れているのでしょう。この世に揺れています。そういう揺れる言葉を集めたものが、万葉集。そこでは、当時のこの世の人たちが別れに揺れ、恋に揺れ、寂しさに揺れ、喜びに揺れ、哀しみに切なさに揺れています。今となっては、詠んだ人も詠まれた人もそのどちらの人もすべて旅立ちました、あの世に。
さて、あの世はあるのか、それともないのか。昔から続いている論争です。今後もその解釈をめぐって議論は続くことでしょう。ここでは私は解釈をせずに翻訳を試みます。まず、あの世の前に順序としてこの世を観てみますと、あらゆる物すべてが存在するのがこの世です。だからこの世には、疑問も答えも神秘も秘密も不思議も全部あるのです。もしこの世から疑問がなくなったら、すべてがあるのがこの世なのですから、この世ではなくなります。それは答えでも不思議でも同じことで、とにかく一つでも欠けたらこの世ではなくなるのです。だから今後もあの世論争も存在します。
では、あの世というものを翻訳します。1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見する前からアメリカ大陸はありました。地球物理学でいえば、何億年も前からあったのです。でも中世ヨーロッパの人びとには、ないものでした。知らないとは、存在しないことですから。同時代の日本人の意識にもアメリカ大陸は存在していませんでした。今では、一万年前や十三万年前のアメリカ大陸に少数の人がいたことがわかっていますが、実際にいたその人たち以外の人には、アメリカ大陸はなかったのです。もっとも、実際にいたその人たちも、そこがアメリカ大陸だという意識はなかったでしょう。あの世という存在とソックリです。
これからは、人は死ななくても臨死体験をすると私は言いました。それを実感するには、死を解釈するのではなく翻訳することだとも言いました。その本題に入る前に一言。脳という器官、私にいわせれば究極の筋肉、その固まった脳筋肉をストレッチしてもらうのに格好の材料をみなさんに提供します。大陸です。岩でできている大陸に思いを馳せて下さい。岩といえば固体ですが、古大陸って聞いたことありませんか。パンゲア大陸やゴンドワナ大陸などのことです。古大陸が動いてできたのがヒマラヤ山脈だったり、南北アメリカ大陸です。ということは、岩は動かない固体ではなく、時間をかけて動く液体だということです。時は流れるといいますが、もはや大陸も流れるというのが時流のようです。
地震列島日本。地殻変動が多いからそう呼ばれるように、地球の10数枚のプレート(地球の表層を構成する岩盤)のうちの4枚が日本のすぐそばでぶつかり合っています。4枚とは、フィリピン海、ユーラシア、北米、太平洋の各プレートのことです。それらがぶつかり合うのは、固体である岩盤が液体として流れている証拠です。時おり地面が揺れるのですから、私たちの人生が揺れるのは当然。揺れるのは生きている証し、生きるとは時おり揺れるということ。あなたが固体だと思っていた脳が実は筋肉で、揺れ動く液体だったことを思い出しますように。
本題に入ります。
実は私たちの臨死体験率は100%です。なぜなら、私たちは死ななくても臨死体験をしているからです。今まではどうだったかというと、臨死体験しているのにそれに気づかなかった。今は、そのことに気づく人が出始めてきました。そしてこれからは、臨死体験を実感する人が増えてくるでしょう。コロンブスが船に乗ってアメリカ大陸を発見したように、アニータがあの世に乗ってこの世を発見しました。ヨガの流派の中には、私たちは毎晩死に、毎朝生まれると教えていることは前に書きました。私の経験では、人は毎晩毎朝どころか瞬間瞬間に生と死を行き来しています。
では、死というものの翻訳をします。それは同時に、あの世というものの翻訳でもあります。アニータは臨死の際、すべてが許される天国の心地よさを味わいながらも、ある居心地の悪さを実感しました。彼女は死んでみて初めて、なぜ自分は癌で死んだのかを理解したのでした。それを生前の世界の人に伝えずに去って行くことはできない。だって、私がさっきまでいた世界の人は誰もそのことを気づいていないから。同じように、愛する人をただ悲しませるだけの去り方はできない。そう思ったアニータは、居心地が悪いと感じたあの世から居心地の良いはずのこの世に生還してきたのです。
この場面は極めて注意深く観察する必要があります。アニータが深く理解したことを、生前の世界の人の中で特に伝えたかった人が、そこにいるからです。
そことは、この世。その人とは、この世に戻って来たアニータ本人のことです。そうして生き返って来たことは取りも直さず、アニータが悲しませたくないもっとも愛する人のためでもありました。アニータがもっとも愛するその人とは、アニータ本人のことなのでした。人は自分を愛してよかったのです。
今、あなたが日々に居心地の悪さを感じているのなら、あなたは臨死体験の真っ最中なのかもしれません。もしそうなら、そこから生還して来てはどうですか。だってそこは、あの世かもしれませんから。私たちが当たり前に思っているこの世が、もしかしてあの世だとしたら? だとしたら、この世とはどこでしょう。
あなたには、戻って来るという選択があります。どこに戻るかというと、本来のあなたという所にです。そもそも居心地が悪いと感じてしまうのは、私たちが本来の自分からずいぶん遠ざかってしまった今の自分に気づいているからです。
アニータはがんばって生きてきました。でも、実際に死んでみて彼女が深く理解したのは、自分というオリジナルを生きてはいなかったということでした。アニータが生きて帰ってきて始めたのは、やり直すこと、つまり本来の自分に戻ることでした。
だんだん空いてくるお腹。
生きているからこそ空いてくる。
空腹は最高のスパイス。
今度はなに食べようかな。
だんだん重くなるまぶた。
きのうも寝たのにまた眠くなる。
毎日とは最高のベッド。
今夜はどんな夢かな。