【なつかしい】⑤

K:世間でよく飛び交う言葉があるでしょう、教育やしつけや運命という。これが一人ひとりの人間に付いて回っています。そういったものがくっつく前の状態です。それが、なつかしい顔です。

Ch:グループ中に色々なエクササイズをやったり座ったりしながら、そういう【なつかしい】顔が•••

K:出て来るし、また皆さんもたくさん目撃することになるでしょうね。

Ch:【なつかしい】を意識して続けていると、顔自体っていうものが変わってくると思うんです。普段の顔ですけど、これについては。

K:それはですね、日常のよくある光景を思い出してみて下さい。たとえば皆さんが、どこかの大きな駅の前で待ち合わせをしているとします。『おおい、こっちこっち』とか『やあ、久しぶり』なんて言って手を振って、知ってる人が待ち合わせをすれば必ず会うんですよ、よっぽど時間やら場所が違わない限り。これを皆さん不思議に思わないかなあ。だって、みんな目は水平についてるんですよ。右目と左目の間なんて、まあ2センチか広くて3センチ、狭くて1.5センチ。それをどんな遠くからでも、『あ、友だちだ』とか、『あ、おふくろだ』とか、恋人だとかね。恋人の鼻が左の後頭部についてるとか、耳が4個あるとかじゃなくても、一瞬にしてわかるわけでしょう。これは大変な事でしてね。ほとんどミリ単位でしか個人差がないのに見極めてしまう。この事は正に【なつかしい】のヒントになってるんですけど、すべての人に見極める力が最初から備わっているという事ですよ。

【なつかしい】のワークの最大の特徴は、家に持ち帰って自分でもやれるということです。セミナーで出会った経験に思いを馳せることもワークなんです。電車に乗っていても、ワークに参加していた時のその表情になっていきます。なぜならば、皆さんが【なつかしい】のワークで目撃するのは人の顔であり、パートナーの顔であり、自分の顔なんですが、それこそが正に思い出している表情なんですよ、本来の自分を。後日、そのワークを思い出しさえすれば、瞬時にまたその表情になるんです。その表情に思いを馳せる時に、その表情が出ます。あなたの表情に、【なつかしい】のワークを受けていない人は少し戸惑うかもしれませんね。もしくは、その表情に気がつかない人がいるかもしれません。

気がつかない、気がつくという言葉の背景には、いわゆる普通の教育が生み出すプレッシャーやストレスを感じながらの生活があります。よく耳にする、『人間は社会的動物だ』という状態が続くと人は、【なつかしい】の表情に気がつかないんです。ただし、その人の心の奥底では気がついていますよ。でも困った事に、気がついている事に気がついていない。要するに気がついている事を確認することが、なかなかできない。『あの人、何ニコニコしてるんだろう』とか『何か思い出しているのかなあ』じゃなくて、『あ、あの表情だ!』って、そうなってくると素敵ですよね。

さて、【なつかしい】セミナーが終わって皆さんは帰っていきます。そこで、実験してみて下さい。鏡の前に立って、しばらくそのまま鏡を眺めながら、この三日間のワークを思い出してみるんです。どうも化粧室に行くと身構えてしまってダメな人は、手鏡でも持ってソファーでもO.Kですよ。もちろん、ベッドに横になっても。とにかく、自分にとって一番好ましい状態でワークを思い出す。思いを馳せる。目を閉じてもいいでしょう。さて、目を開けると•••。手鏡や化粧室の鏡に写っているその表情こそが、【なつかしい】顔です。その表情はとても平和です。とても温かいし、満ち満ちています。どなたも、その表情を見ることになります。

幸か不幸か、今の社会はビジュアルになりました。大きな建物を見て『お金持ちかなあ』とか、『あの人、背が高いわ!』とかね。だったら、そのビジュアルさを大いに活用して、鏡の前に立って【なつかしい】の表情をするんです。そうすると今度はその表情によって【なつかしい】状態をいつも持ち歩けるようになります。だんだんやっていくうちに、そう、鏡がなくてもその表情をすることによって、『あ、そうだったんだあ』とか、『あれ?今、出来事が来てるぞ』って一瞬で理解しますよ。そこでその出来事たちに挨拶するんです。『ハーイ』や『ハロー』とか、『一緒に行こうぜ』っていうふうに。『出来事が来るんだ』じゃないんです。『出来事は来るな』じゃないんです。出来事と私は一緒ということに気がつくでしょう。ただしこれは、説得することじゃない。ワークを受ければ『こんなに簡単だってのか』と、うれしくなってきますよ。

でもね、まだまだ世界の多くの人は『世の中ってのは、簡単じゃないぞ』って、勘違いしてるんですね。勘違いさせられたのは無理もないとは思います。だって、皆さんがこの世に生まれて来た初期の段階から、すでにこの世ではすごいトリックが始まっていますから。人生や世の中を、厳しく困難なものだと思い込ませられてきましたからね。それも世界レベルでね。はっきり言いますよ。簡単なんです、ものすごく簡単なんです、この世とあなたの関係を知るということは。
~~~以上でインタビュー終了~~~

【なつかしい】④

Ch:どうしてもこうしたワークに参加する人間は、瞑想とかに興味を持って色々なアイディアがあるわけですね。光明を得るとか悟るとか。そういった中でステップアップしていくアイディアがあって、どこかに辿り着きたいというマインドや思考法があります。これは多分に我々の教育から、そういう見方になっていると思います。それが、興梠さんの言うところの【なつかしい】は、そういう思考法では捉えられない。そこをなんとか伝えようとして、色々な工夫をされていると思うのですが。

K:瞑想をしている人の中には、『いや、まだ光明を得てない』『なんだ!これじゃ、まだまだだ』などの思いをしている方も多いようですね。世の中では、人間が進化していく、進歩していく、成長していくのをグレードが上がると解釈する傾向が多分にあります。今日より明日、明日より明後日、5年前より今、さらに5年後っていうように。ここでも、やっぱり教育の影響が強いようです。そうなるとヒエラルキーができます。例のピラミッドみたいな、トップを目指す形。優劣ですね。たとえば、3年前の自分に比べたら、今の自分は随分と成長したなという、自分の中でも優劣をつける。ところでエンライトメント、光明を得ようと日々努力している人は、なぜ悟りたいのでしょう?光明を得たら世の中はもっと光り輝くだろう。もしくは、気になって仕方がない事が気にならなくなるかもしれない。もっと愛を人に施すことができるかもしれないとか、そんな思いがあるのでしょうか。

おそらく、光明を得た人は『このままの世の中ではいけない』と不足を感じます。僕が思うに、それは一言で言いますけど野心です。どうしても光明という言葉を使うなら、要するに光明そのものが世の中に充溢、充満してるんですよ、本当は。ところが、さっき僕が言ったように肉体はこっち側、俺の外側ってどこだよってキョロキョロする。光明は充満している側にいるんですよ。そのチャンスをど忘れさせている。冒頭の話に戻りますけどね。だから自分の居場所を閉じ込められたんです。
『あなたは子供だから』
『男の子のくせに』
『俺ってどこから見ても、鏡で見ても男だ』
『私ってまだ8才だわ、この大きさは』
『お兄ちゃん、見てよ!』っていうふうに、ライバル意識や比較が始まります。これはある意味で、人を非常に不安定にさせる。人を注目させる手っ取り早い方法は、怖がらせる事だと僕は思います。不安がらせる事ですよ。もしくは『劣っている』とか言って比べっこさせると、人間は頑張りますよ。『今一歩だ』『ここまで来たんだから』とね。

ところで、エンライトメント、エンライトする。これはすごい綴りですよね、スペルを見ると。日本語だと光明、光と明るいという言葉ですから。でも、ここに何か固定観念がないでしょうか?すなわち、今じゃない、これじゃないっていう形で先へシフトしていくような。ようし、この方法でやっていけば、この練習をしていけばと先へ先へと行く。でもね、ここで僕が皆さんに言いたいのは、私たちは生まれたという過去、その出発した所をもう一度確認をして欲しいという事です。【なつかしい】セミナーを体験すれば、誰もが思い出すと思うんです。あえて思い出すという言葉を使い続けましょうね。このセミナーで皆さんは、最初から備わっていたんだという事を実感します。思い出すわけです。思い出すワークの中で、未来にも触れます。未来というけど、究極の未来は過去なんです。過去とは、もうひとつ完成していない未来です。具体的に言えば、過去こそがほとんどの出来事がそろっている。

日本の俳画や水墨画にたとえると、あと一筆をフッと入れるだけで、それが光り輝くものになる。要するに究極の未来は過去であったという事。過去は終わってない。過去は思い出されたがっている。もう一筆、誰が入れる?あなたが!どうやって?そう、あなたがあなたを思い出す事です。思い出すというアクションとは、一筆をフッと入れる事。画竜点睛を欠くというコトワザが中国にありますが、竜の絵を描いてあとからポンと睛(ひとみ)を描く。【なつかしい】はそれに尽きると思います。ただ、画竜点睛とか竜の話をすると堅苦しくなるけど、本当はニコニコ、クスクス、ダラダラ、のんびり、大らかに。僕のワークはいつもそれを大事にしています。だって、大らかなものこそ、のんびりしたものこそ命なんです。ダーウィンの進化論ってあるでしょ。ダーウィンそのものが言った事は、解釈が随分ねじ曲げられましたね。彼はそういう事を言ったわけじゃないんです。あるがままという言葉を使えば、正にあるがままを報告しただけなんです。だけど、しつけとか教育とかに進化論って、ものすごく便利なんですね。

Ch:なつかしい顔のエクササイズをやります。なつかしい顔に戻っていく。なつかしい顔って、まだ参加した事のない方にはアイディアがないと思うんです。どういう顔を、なつかしい顔って言うんですか。
~次回へ続く~

【なつかしい】③

K:そう、あるがままっていう言葉は昔からある。ただ、皆さんの言うあるがままって、どうせ抵抗したってしょうがない、抵抗するとかえって疲れる、そんな思い通りに行くほど人生は簡単なもんじゃない、楽なもんじゃない、だからあるがまま。下手に抵抗するとその分だけ傷もつき疲労もするからと、また先入観が登場するんですよ。僕が言いたいのは、出来事そのものにも人格みたいなものがあるということです。悲しみというものにも喜びというものにも、まるで人間のように人格が存在している。退屈にも怒りにも人格があるんです。なぜなら、人の世で起きてる事はすべて、人間たちがいる場所で起きてるという事ですから。

【なつかしい】セミナーの中でも触れますけど、多くの人が自分の毎日を、自分の人生を、輪切りにしていくんですね。『ああ、今日はろくなことがない』や、『俺って、ここ1~2年ぱっとしない』などと。でも実際はどの出来事も途切れがないのに、ぱっとしないという言葉をポンと言い放つ。典型的なつぶやきで多いのが『1年間がんばって、結局こういうことか』です。シマウマやカバは、1年経ったとかカウントしてないですからね、彼ら。動物はなぜ地球上にいるのかっていうと、別に理由があろうがなかろうが既にいるから、という言い方もできるけど。実はここで初歩的なヨガの話になりますが、バッタのポーズ、猫のポーズ、ライオンのポーズ、あの生き物のポーズを物理的にも真似るところに大きなヒントがあります。もしヨガをやっている人がいたら、どうぞ今度から本当にその動物になってほしいんです。とてもなつかしい感覚にリンクしますよ。

あるがままを一般的には、厭世的、所詮なに言ったってというとらえ方をしていますよね。もちろん、ケ・セラ・セラみたいな言葉もありますよ。やって来るものをフウッと柳に風のようにやり過ごす。『だって、しょうがないじゃない』みたいに。それは一方で間違ってはいないんですが、僕が思うのは、出来事っていうのはあなたにやって来るんじゃなくて、あらゆる出来事はあなたと共に起こっているということです。あなたが欠けると、その出来事は起きないんです。『わあ、雨に濡れちまった』って、それはあなたがいたから濡れたんです。もし、あなたが部屋の中にいたら、『ああ、あの人、雨に濡れてる』というのを自分の部屋から濡れずに見ているという出来事が起きるんです。つまり、あなたの出来事はあなたと共に起きている。それなのに多くの人は、不幸な事は自分にやって来ないようにと、自分と出来事を分離してるんですよね。出来事とあなたの本当の関係を粒子で説明すれば、実は溶けてるんでしてね。

Ch:溶けてる?

K:外側も内側も同じものということです。ところがどうしても僕らには眼があるので、『わあ、外は風が吹いてる』とか、『山に雪が積もっている』とか、『人が公園を歩いている』とか、どうも自分の眼球を肉体の外を見るものだと勘違いしてしまっている。本当は自分の内側を見るんですね。僕のひらめきで申しますと、実はこの外側いるんです、僕らは。外側にいるけど、それを確認する場所があなたの肉体でありましてね。『今日は寒いな』とか、『長年これをやってきたな』とつぶやいたり思ったりする。『あの人って、今ごろどうしてるのかな』と、来た封書を自分の手で切る。便せんを開く。『わあ、まだこの便せんを使ってるんだ』そうやって2枚目3枚目と読み進む。触る、切る、開く、読む、つぶやくという感触や感覚を自分で感じることによって、自分の内部に取り込んでいるんです。実は外側の出来事は、内側のあなたと共にしか起きない。あなたにとっての出来事は、あなたがいないとhappenしないんですよ。その空間をビジュアルに言えば、肉体の外側にあなたがいるんですけどね。ところがどうやら内側と思い込んでいるようです。

だから、着飾る、部屋に入る、ドアを閉めるとか、目をそむけるとか、内側中心に生きているので、いつまでたっても侵略されるとかね、被害妄想になっていくんです。外側です。あるがままであるけれど、あるがままって言うと出来事の方が先行してますよ。言葉にこだわれば、いるがまま、あなたがいるがまま、もしくはそろっているがまま、初めから全部そろっているんです。ひとつ欠けても起きないです、出来事は。出来事を擬人化すれば、出来事はものすごく寂しがり屋、いつもあなたと居たい。その時に、うん、いい出来事だけ起こってくれと、また始まるわけです。多くの人が出来事を輪切りにして受け取るんですね。そうするのが癖になっている。『今日の成果は』『3年がんばった』『おお、苦節10年』みたいに、どうしても輪切りする癖が私たちにはある。サイとかカバとか、キリンもシマウマも『ええっと、過去3年が』って、やりません。

~次回へ続く~

【なつかしい】②

Ch:なつかしいって言う状態は、簡単に言ってどういう状態ですか?

K:言葉で表現しながら言葉で言い表せない事を言うから、矛盾して聞こえるかもしれませんが、微笑んでしまう感覚ですよ。まず笑顔がでる。それは、そばで見ていても分かると思うんです。皆さんがこのワークを始めるときには、おそらくその時のパートナーの笑顔を見ることになると思います。つまり、顔が本当にゆるんでいくんです。しかも男だとか女だとかの枠が溶けていくような笑顔です。大人とか子供とかの、要するに今まで世の中で分類されてきたものがどんどん溶けていった時に、笑顔というものの存在そのものを見ることになると思うんですよ。それを言語で言えば、『平和』でしょう。

ところが、この平和っていうのは気をつけて使わないと、なにか波風がない状態が平和、もしくは戦争が終わった状態が平和、みんなが信じ合うことが平和っていう風に、平和っていう言葉はとても響きは心地いいんですが、ものすごく先入観の多いステレオタイプになりやすい言葉なんですね。まあ日本語で平和って言うと、漢字で書けば平らかに和むということです。この字面でも、なにか起伏のないような感じを受けます。でも、もっとよく思い出してみると平らかはフラット、平等だということです。そして和は、みんな同じフィールドに一緒にいるということなんです。

大好きなおじいちゃんが亡くなるとか、恋人と色んなストーリーで別れてしまうとか。それから、なにか計画していたことが頓挫する、たとえば試験に落ちるとか、そういう良くない出来事は自分の所に来ないでとチョイスする。でも、これはおかしいです。不平等ですよ。すべてのキャラクター、すべての出来事がこぞって集まってる場所が平和なんです。ところが普通は、そういうことがないような、柔らかい空気だけ自分の所においで、成功する出来事だけおいで、喜びだけおいでとチョイスするんですね。

僕はここに、しつけや教育のコンセプトやメソッドみたいなものを見ますね。気がついたら、しつけと教育の裏返しじゃないかっていう風になってるんです。だから、にじみ出てくるような笑顔そのものっていう状態にならない。これはイイ、これはダメとか、どうしてもチョイスする。あるものは排斥して、あるものはウェルカムしていく。この動きが、ずうっと続いているんです。男だ女だ、若者は、年配者はと分ける傾向が社会にはあります。若い人だけ集まれ、年配の人はこういうところがあるとか、男という者はとか、女ってとかね。何々だけ、何々はということで集まったり、そういう分け方でデータを集めてる。そこには、気配でいえば歪みが出ます。僕は、悲しみやら怒りやら思い入れやら切なさやら、それから至福の喜びやら全部が集まっている場所がこの世だったということを思い出した。なんていいんだろう。なんてにぎやかで、なんて静かなんだろうと。

まあ皆さんも経験あると思うけど、親たちが何か一生懸命に話をしている時に、相手のお子さん、もしくはあなたのお子さんが、
『ねえ聞いて、ママ。ほら聞いて、パパ。ちょっと聞いてよ』とか言うので、あなたは
『うん、今大事な話をしているから』
『でもさあ』と、子供。
『とにかく大事だから』って、なだめる。
『ねえ、聞いてよ』その子は食い下がる。やがて、そこら辺りをイタズラし始める。
親たちはどうにもならなくなって、
『なに』って言うと、実は、
『こうこう、こうだから』
『ヘエー、それはすごいね。そうなんだ』
ちゃんと子供の存在を認めるとその子は、
『遊んできていい?』
『いいよ。行っておいで』
これでスッキリして、次の展開に移るんです。

実は出来事もまったくこれと同じです。悲しい出来事も怒りを誘う出来事も、
『ねえ、ちょっと聞いてくれよ』という風にやって来る。ところが、
『怒りは来るな!悲しみは来るな!』と無視すると、出来事はその存在を認めてもらうまで必ずアピールします。それをどうやら皆さんは、マインドが騒がしいと言っている。マインドが騒がしいって言う時には、その騒がしいという言葉に代表されるように、ここは騒がしくて素敵だなとは日本では使わないでしょ。アメリカでもイギリスでもフランスでも使わない。なぜかというと、騒がしいのは良くないもんだと決めてかかっているからでしょう。騒がしいって、なにか否定的なもの、怒りとか悲しみとか裏切りとか、つらさとかね。でもね、その形容詞っていうか固定観念すらも一回耳を傾けてあげると、固定観念の方は、ああ、安心したという顔になって、
『ちょっと遊んでくるね』
という具合に、どこかへ行くんですね。そんな風に固定観念は溶けていきます。まるでそれは笑顔に似てますよ。そういうことですね。

Ch:【なつかしい】ということを続いていくと、人生で起こるすべてを包み込んでいけるというか、起こる事を起こるまま、あるがままっていう感じに聞こえるんですが。
~次回に続く~

【なつかしい】セミナー

【なつかしい】セミナーは、初めて訪れたインドで始めました。1996年の暮れのことです。その後、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリス、スコットランドと毎年夏に2~3ヶ国で開催してきました。3年前からは、フランスに各国の人が集まる形式にしています。毎年、8ヶ国ほどが参加しています。
そもそも【なつかしい】セミナーとは何なのか?Chanpaka(私のマネージャー)から私へのインタビューを転載します。

Chanpaka(以下Ch):なつかしいとはどういう事ですか。

興梠(以下K):懐かしいを英訳すればノスタルジィなんですが、セミナーの【なつかしい】は、カムバック•ユアセルフやゴーイング•ホームという意味で使っています。なつかしいという日本語が他の国の言葉に訳されるときに、一番伝わって欲しいのは、本当は私たちが生きているこの世界はとても楽しいし、面白いということです。ところが人は人生をどちらかというと辛く、厳しく、苦しみも多いと思いがちなんです。どうも洋の東西を問わず、楽しみや喜びというものは束の間だったり、長くは続かないものと思っている人が多いようですね。生きていく上で、あんまりパッとしない事の方が多いんじゃないかという思い込み。なんでそうなったんでしょう。いつからそうなったんでしょう。
それは、シフトですね。この世界に生きている本当の喜び、面白味を味あわないようにシフトされてしまっているんです。具体的にいえば、しつけ、教育、その家の家風などでしょう。家風というと大げさに聞こえますが、その家その家の日常の暮らしのことです。たとえば、気性の激しいお父さんとか、自信のない様なお母さんとか、その逆の組み合わせもあるでしょう。
【なつかしい】セミナーとは、そういうシフトにされる以前にもう一度戻ろうというものです。私たちが生を授かるとは、実はしつけや教育や家風などに染まる前の、もっともっと大事なものとして生を授かっているという事です。だけどかなり多くの人が、あの家に生まれたからとか、この国に生まれたからとかいって運命論者みたいになっていますけどね。でも実はこの世界は満ち満ちている。ひとつ欠けても私たちはこの世に生を授からなかった。そこまで戻っていきます。では、何が満ちているのか?それを確認するのがセミナーのポイントになります。これは実際にセミナーを体験してもらえば分かりやすいんですが、本当は世界は満ち満ちているんです。ところが私たちの周波数の合わせ方がね、少し間違ってるんです。この社会の、便利なように見えるシステムにチャンネルを合わせてしまっている。もう少し激しい言葉でいえば、そのようにさせられている。

Ch:それは現代社会ということだけじゃなくて、今までの時代を通じて社会のシステムは【なつかしい】を思い出せないようなシステムだったということですか?

K:こういう事は非常に大胆なたとえで言った方が分かりやすいと思うんですが、エデンの園の話がありますね。この旧約聖書がすべて事実だったかどうかは一応置いときましょう。ただ、エデンの園のアダムとイヴのストーリーっていうのはとても有名ですが、エデンの園ってどこかの場所みたいに言ってるけど、僕が思うにエデンの園は実は言葉のことなんです。
そこに禁断の実がなっている。食べてはいけないという果物ですね。これは色々に解釈できると思うんです。禁断の実も言葉だとすると、私たちの人間関係において、それだけは言っちゃならない、とんでもないことを言ってしまった。人に対して傷つけることを言ってはならない。これはどの国でもあると思うんです。それなら、そう思うだけで言葉にしなければいいのか。エデンの果実って何かと言いますと、ある言語『自分はダメなやつだ』と自分に向かって言葉を発することなんです。叫ばなくても声帯を震わせなくても、人間は言語で思考しますからね。
言語で思っている世界の中にも、色んな草や木、そして岩とか石とか山や川があるという事です。僕が言葉とエデンの園はまったく同じものと言ったのは、人間は言語で行動を決め、言語に反応しているからです。それから、自分の中でも(今、このインタビューを録音していますね。仮にしていなくても)言語が鳴り響いてんですよ。ここを【なつかしい】ところまで戻して行かないといけないという事です。

この旧約聖書だって言葉で書かれていますね。アダムが土からできました。そのアダムの肋骨からイヴはできました。妙な所に力こぶが入ってますね。アダムから肋骨、肋骨からイヴ、そういう風に言語は次の言語を導くし、その言語を聞いた人は『あ、そうなのか』って言語を発するし『やっと分かったぞ』とか『そんな馬鹿な』とか、また言語で言うんです。もしくは思うんです。
『あなたをとても愛しているわ』とか『私の大好きな赤ちゃん』とか言うのも言語です。だけど人間の子どもというのは、相当面倒みないと自立はなかなか難しい。面倒みてくれる期間は、妊娠中の10ヶ月で生まれてきて、あと10ヶ月くらいではとても無理なんですよ。もしかしたら何年も、もしくは10年も20年も30年も、場合によっては一生かかることがある。でも生命学的にいうと、その時には親はいません 。ところが声はずうっと、その親が死んでも鳴り響いてる。それは何かと言ったら、自分が自分の存在に対して親みたいに罰する、ジャッジする。そこをもっと手前、なつかしい所に戻って行こうという事です。で、僕はそれを皆さんより早く思い出したからね、という事です。

この世ってなんてシンプルなんだ。満ち満ちているっていうのは、こういう事だったのか。皆さん、チャンネルを持ってるけど、そのチャンネルはほとんど親もしくは更に親のおじいちゃんやおばあちゃんや、街を歩けばその界隈、社会それから法律、場合によっては宗教、色んなもので設定されているんですね。そこへ行く手前の状態、それが【なつかしい】っていう事なんです。ところが、その周波数すなわちチャンネルが封印されてしまっていますから。多くの人が、そのチャンネルがある事すら思い出してないので、まずチャンネルがあるよ、みんな持ってんだよ、チャンネルがあるから生まれたんだよって事を、このセミナーは三日間、体と心を使ってやっていきます。

Ch:【なつかしい】っていう状態は、簡単に言ってどういう状態ですか?

次回へ続く。