濃い時間・薄い時間

1月6日の『野才発伝所(ふ号)』で触れました、濃い時間・薄い時間。この話を進めて行くために、それをここに再現します。

去年の秋から、よく噛んで食べている。それまでは相当な早食いであった。
意識して何十回も噛んで噛んで、のみ込む。
出先で、ピラフをよく噛んで食べている時のことだ。
いきなり実感した。
時間には濃いと薄いとがある。
正確に言うと、薄いは淡い(ウスイ)と表現した方がわかり易い。
そして、時間の濃い場所と淡い場所とがある。
この世界は、濃い時間の場所と、淡い時間の場所が同時にあるが、
ほとんどの人は濃い時間の場所しか知らない。

と書いています。その続きを書こうと思っていた矢先に、素晴らしい映画に出会うことができたんです。2作品です。『光のノスタルジア』『真珠のボタン』監督•脚本パトリシオ•グスマン。胸が熱くなりました。しかも静かに。すぐに観に行って下さい。渋谷のアップリンク、電話03-6825-5503。info@uplink.co.jpです。続きは、そのあとで。

君の家が見える

君の家が見える      作詞•曲 守沢 鷹

⒈ 誰も答えてくれない事に   誰か答えておくれ
このまま歩けばたどり着く   君の家が見えるなら
どうしようもなく嬉しい時とどうしようもなく悲しい時が
どうして毎日 くり返しやってくるのか
過ごしすぎた所にいる君に    思いがけない風が吹く
そのあとに知らない世界が    君に見えてくるけど
君の家が見えてしまう      君の家が見えてしまう
君の家が見えてしまう      君の家が見えてしまう

⒉ 何処にでもある何処にでもない  そんなものがあるなら
どうかひとつ振り返り      誰か分けて欲しい
目を閉じれば見える 耳をふさげば聞こえる
口を閉ざせば言える
なんとか少しでも        強い人になれたなら
話しているうちに突然君は    困った顔をした
このままでは きっと      きっと今日も同じころ
君の家が見えてしまう      君の家が見えてしまう
君の家が見えてしまう      君の家が見えてしまう
君の家が見えてしまう      君の家が見えてしまう

病気という刺激

治療は刺激だと、私は翻訳します。なぜなら世界の医療は、身体に刺激をあたえることで実は、あることを期待してきたからです。反応です。この世の現象は、刺激と反応の連続のようにも見えます。

さて、病気も刺激のひとつだと翻訳していきますが、その前に。
しばしば私が『翻訳』という言い方をするワケを述べておきます。ほかの言い方では解釈というのがありますが、解釈は時代や立場によってコロコロ変わるんです。
「そういう時代だったんだよ、あの時は」
「フツウそうしない?みんな」
「その状況になれば、誰だってそうするって!」
変わるのがイケナイとはいいません。変わるのがイイともいいません。ただ私は、その時、その立場にまだなってもいないのにという、その意識だけは持ち続けようと思うのです。騒々しくない訳し方、静かな解明のやり方を目指して、私は翻訳という言葉を使っています。

病気という刺激は、反応を促します。身体の反応としては、痛み(かゆみ、シビレを含む)、体温の上下、ケイレン(戦慄、悪寒を含む)など多様です。心の反応はどうかというと、不安、恐怖、動揺、拒絶、無視、絶望、祈りなど、それこそあらゆる心理が観察されます。冒頭で私は、刺激と反応の連続がこの世だと表現しました。ここで注意して欲しいことがあります。それは、私たちがいる場所というのが、今の世の中だということです。

ところで、ひとつ提案をします。かなり昔の世の中で、人が具合を悪くしたときのことを想像してみませんか。その人はきっと、最悪の場合は身を横たえ、症状が軽ければ自分の手を患部に当てたと思いませんか。文字通り、『手当て』の原形をその人は表現しました。事によると、薬草を患部に当てがったり、かじったりしたかもしれませんね。そういう時代だったのでしょう。病気という刺激に対して、本能的な反応や、当時の常識的な行動をとったのですから。

一方、今の世の中にいる私たちが体調を崩すという刺激を受けたとき、果たしてどのような反応を示すのでしょうか。その前に、どのような心理状態になるのでしょうか。良くも悪くも、外からの情報が多過ぎる私たちは自分を失う可能性が高いと思われます。内からの情報という、いわゆるヒトとしての本能を、私たちは翻訳できなくなってきているのが現状です。外からだけの情報は、解釈を誘いがちです。痛みという刺激に対して、専門家に指示してもらおうという反応。発熱という刺激に、とにかく下げなきゃとクスリ求める反応。疲労という刺激には、ビタミン剤でガンバルという反応。

誰も非難しない行動、いや反応でしょう。だってほとんどの人がそうしますから。そういう時代ですから。万が一、そうしなかったとしたら?まわりの人は、
「大丈夫?悪化するぞ!」
「なにやってるんだろ?変な人」
「……?」
その他、似たり寄ったりな反応でしょう。何に対して?もちろん刺激に対してです。〈思う通りにする〉という刺激に対して、〈考えられない〉という反応です。

困ったことに人のリアクションは、こちらのリアクションを誘発します。もう、どっちが刺激か反応か分からないという、騒々しい状態になっていきます。この世の特徴、刺激と反応の連続ですね。。でも、一度病気を刺激(サイン)としてとらえてみると、自分はどのような反応(思い•行動)をしていくのかという静かな時間を経験できます。翻訳の開始です。

安保徹(あぼ とおる)先生は言います。「過酷な労働、不安感、恐怖心などが身体を低体温、低酸素状態にする。それが発癌のメカニズムなのに」

イトオテルミーとは?

イトオテルミーとは、1929年に医師の伊藤金逸博士が創見した温熱刺激療法で、イトオ(伊藤)テルミー(ギリシャ語で熱)の療術師が私の職業です。イトオテルミー(以下テルミーと略)の私のプロとしてのキャリアは、2016年で31年目に入ります。

テルミーとの出会いは1984年5月、生後9ヶ月の長男のアトピー性皮膚炎がきっかけでした。生後101日目(1983年11月30日)に発症したアトピーは、最初はアゴ、そしてホッペタ、肩、頭皮という上半身に限ったように出ました。典型的な食物アレルギーですね。中でも長男のケースは、大豆への抗原抗体反応と思われます。妊娠前から食生活には留意したはずなのにと、妻も私も戸惑いは相当なものでした。

ステロイドを使うことは最初から頭にありませんでした。完治できない人をまわりで見てきていましたので。私たちが実行したのは、民間薬を塗ることと、母乳の改善を図ることでした。そのために乳房マッサージを受けた時に、故•山西みな子先生からテルミーの存在を教わりました。家庭療法の強味は、いつでも実行できることです。プロの指導を受けながら長男と妻に毎日テルミーを掛けましたら、三ヶ月後には完治しました。その二ヶ月後には、テルミーの学校に入っていました。

テルミーは〈刺激〉です。それに〈温熱〉が加わり【温熱刺激療法】と呼ばれています。化学的、光学的、熱、器械的、さらに香りの働きで身体を〈刺激〉して、その反応を促すように工夫されています。一方、鍼(はり)はツボや経絡を〈刺激〉し、灸はツボや経絡を使って約第3度~4度の火傷を起こして〈刺激〉しているのです。指圧も、押す•離すことで〈刺激〉するわけです。薬も同じく〈刺激〉です。

そして実は私は、病気も歴とした〈刺激〉だと言いたいのです。何故なのかは次回に詳しく翻訳します。