人物連鎖 ❻

その言葉をキーワードとして事件•事故の原因に迫っていきます。そうすることで事件や事故を減らすことができる、防ぐことができる方法を見つけて行こうと思うのです。
では、早速そのキーワードを使って真相を解明していきます。まずは言葉を並び替えてみると、
「なんの罪もない人が犠牲になった」⇒「なんの罪もない赤ちゃんが犠牲になった」
さらに、
「行きずりの人が巻き込まれた」⇒「行きずりの赤ちゃんが巻き込まれた」
何か不思議な感覚を覚えませんか?居心地の悪い、何とも落ち着かない感じがしませんか?どういうことかを説明します。

高速道路の容疑者、通り魔の犯人、高齢ドライバーの過失者。この三人に共通しているのは、加害者だということです。加害者は被害者のためにも法のもとに裁かれなければなりません。ただし、ここで見逃してはいけないことが一つあります。それは、加害者にも被害者にも共通していること。つまり、お互いにかつては子どもだったという事実です。さらに重要なのは、この文を書いている私も以前はやっぱり子どもだったということ。それどころか、この文を読んでいるあなたも子どもの時があったということ。もっと言うなら、世界中の大人たちは全て子どもの頃を過ごしたのです。かつての子どもたちが参加メンバーになって構成されているのが、今という世間です。どこかの国の大統領も、この国の首相も、与党も野党も、スタープレイヤーもみんな子どもたちだったのです。夫も妻もノーベル賞受賞者も警官も逃亡犯も、少し昔には子どもでした。

そしてどの子どもも、その前は赤ちゃんだった。

「なんの罪もない赤ちゃんが犠牲になった」
という言葉の組み合わせを目にすると、何か不思議な感覚を覚えてしまうのはなぜなのか。
罪のある赤ちゃんは、いないからです。でも、犠牲になる赤ちゃんはいるからです。誰の犠牲に?問題なのはそこです。
「行きずりの赤ちゃんが巻き込まれた」
この言葉もどこか居心地の悪い、何とも落ち着かない感じがするのはどうして?
行きずりの、つまり一人で通りすがる赤ちゃんはいないからです。誰かがその子を連れています。でも、巻き込まれる赤ちゃんはいる。何に巻き込まれる?問題はここにあります。

誰の?犠牲に、何に?巻き込まれる。
この二つの問題の答えは一つ、世間です。世間の犠牲になっているのです。世間に巻き込まれているのです。大人たちという、かつては子どもだった人たちが参加メンバーとして構成している世間が、赤ちゃんを巻き込んで犠牲にしているのです。

私たちは今、世間で繰り返し起きている事件と事故の本当の原因を見つけようとしています。心の準備はできていますか。お互いに注意深くなる必要があります。なぜなら私たちは、世界中の大人たちが忘れているデリケートな場所に差しかかっているからです。ここで思い出していただきたいのは、加害者の最初の被害者は、実は加害者本人だったということ。

赤ちゃんを犠牲にして巻き込んでいる世間という加害者。
その世間のメンバーの私たちという加害者。
私たち加害者の最初の被害者は、なんと私たち自身。

どんな被害を私たちは受けたのでしょう。

~続く~

人物連鎖 ⑤

言うまでもなく犯罪者は、誕生した時から犯罪者ではありません。犯罪とは罪を犯すとは、違法な行為を『する』ことです。
そこで、乳児の場合を見ていきますと、赤ちゃんは人に対して『する』ことは少なく、『してもらう』ことの方が多いということがわかります。ごく一部ですが例を挙げてみましょう。
●『する』
泣く、笑う、オッパイを吸う等々
(発汗や排せつ等の生理現象は、赤ちゃんが自分自身に「する」こととします)
●『してもらう』
あやしてもらう、かまってもらう、母乳やミルクを飲ませてもらう、汗を拭いたり着替えさせてもらう、排せつ物を処理してもらう等々

さて、赤ちゃんの日常のどの場面に【進路妨害】や【あおり運転】をやる兆しが登場するのでしょうか。
それは誰もわからないのです。
なぜなら、乳児は【進路妨害】も【あおり運転】もしないからです。つまり、まわりの人もその行為を目にすることがないということになります。
では、その元となる【逆恨み】という感情はどうでしょう。その感情が生まれる兆しを私たちは目にすることができるのでしょうか。
そこで、赤ちゃんの『する』をもう一度ふり返ってみると、それが見えてきました。
泣くの中に。
乳児の泣くという行為の原因には、大きく次の三つがあるようです。不快と恐怖と怒りです。

この三つが発生するのは、『してもらう』をしてもらっていない時です。それが極端な場合がネグレクト、無視です。たとえば、
● 不快で泣く
空腹、渇き、発熱、発汗、排せつ物の不始末
● 恐怖で泣く
放置、暴力、怒声、破壊音や激しい騒音
● 怒りで泣く
不快と恐怖を改善してもらえない時
この怒りが放って置かれたままにされていると、乳児の心は幼児期(生後一歳から満六歳頃まで)ではどうなっていくのでしょう。
困ったことに、子どもの心は内か外かへ向かうことになります。
内側へと向かう場合は、あきらめか疑いか恨みに。
外側へと向かう場合は、より激しい怒りに。

ならば、育児放棄をしている母親がひとり悪いのか?
そうではありません。
では、妻を支えていない夫と、二人が悪いのか?
そうではありません。
だとすると、二人の親族や友人知人が悪いのか?
いいえ、そうではないんです。
ということは、近所の人や出会う人がいる世間が悪いのか?
違います、誰か特定の人が悪いということではないんです。犯人を捜している訳ではありません。原因を探しているのです。

ここで、思い出して欲しいことがあります。社会を騒然とさせる事件•事故の後に、しばしば口にされる言葉です。
「なんの罪もない人が犠牲になった」
「行きずりの人が巻き込まれた」

~続く~

人物連鎖 ④

ところで、この食物連鎖の中で最初に登場する微生物は何を食べて暮らしているのでしょう?特にここでは捕食連鎖というぐらいですから、何かを捕まえて食べていることになります。そうでないとfood chainの鎖が切れてしまいます。
実は微生物は、生物と無生物を食べて暮らしているのです。
まずは生物。ここでいう生物とは、他の微生物と生物群の排せつ物のことです。排せつ物の中にいるのは、これもまた微生物。たとえば、菌類もそうでしょう。これでチェーンがつながりました。

それでは、もう一つの食べ物の無生物の方は何かというと、ミネラルです。よく、健康診断などで『カルシウム不足』『鉄分補給』などの結果が出ますが、これもミネラルです。そしてこのミネラルはどこにでもいます。岩などの鉱物の中はもちろん、土や水の中。街の自販機のミネラルウォーターの中にもいます。そして生物の死骸にも。リンや銅やカリウムなど地球上のミネラルは、私たち生物の中にほとんどいます。
無生物のことだから、「います」ではなく「ミネラルはあります」なのでは?
そんな声が聞こえてきそうですが、これは本題の『人物連鎖』のメカニズムを解く重要なキーワードになるので、そのまま話を先へ進めます。

海洋汚染が始まると最初に被災するのは微生物です。その微生物を大量に食べて子孫を残そうとするのがプランクトン。しかし、プランクトンは食べた量と同じ数だけの子どもは産めません。そのプランクトンを大量に食べる小魚にとっても同じことです。
生命の連鎖はここで、あることを始めます。生物濃縮をするのです。簡単に言えば、体に入った物が分解•排出されにくい場合に見られる現象のことです。

これが困った事態を招きます。体内に入った汚染物質は、
◆微生物→プランクトン→小魚⇒中型魚⇒大型魚⇒
という食物連鎖を経て濃縮率が数千倍から数十万倍に膨れ上がっていくのです。そうやって汚染は広がり、結果その生物たちの死を招きます。
食物連鎖とは、食べるという行為から成り立っている!
ここで改めて、このメカニズムをしっかりと確認しておきます。

では、『人物連鎖』の人物、つまり人間は何を食べて暮らしているのでしょうか。
「普通に食べ物でしょう」
「栄養物をとるのが当たり前」
「当然、カラダに害のない物だ」
この、普通、当たり前、当然ということにはかなりの注意が必要だと私は『人物連鎖❸』で言いました。真実を見落としてしまうとも言いました。
それでは、人間が毎日食べている物の中でもっとも重大な食べ物とは何でしょうか。
それは、出来事です。
プラス、その出来事を起こす人物です。
それを栄養にして私たちは毎日を暮らしています。

子どもが生まれるという出来事。母になるという出来事。
父親の自覚を持つという、外から見えにくいけど心で起きている出来事。
赤ちゃんの笑顔に母も笑顔になっていく出来事。そばにいる父親も、つい微笑んでしまうという出来事の連鎖反応。
ところで、
この赤ちゃんは何に笑ったのだろう。
すでにお母さんの顔に出ていた笑みに対して。
その笑みはどこから?
そばに夫がいる安心から。
夫はなぜ母子のそばにいるだろう。
ホッとするし、何だか力が湧いてくるので。
ここでは、子、母、父の3人の人物の連鎖が起きています。

子どもが生まれた時までさかのぼってみると、何人もの人物が登場していました。産院の看護師や医師。もし自宅出産なら、助産師。お祝いに訪れた親族や友人知人。
それらの人物が交わした笑顔や会話という出来事の連鎖。人物の連鎖。
この3人家族の前に現れた人物たちは、きっと3人の心の中まで訪れたことでしょう。そのおかげで穏やかな心になるという出来事は、またしても3人に笑みをもたらす出来事に連鎖していく。
これからこの赤ちゃんは乳児から幼児へと育ちながら子ども時代を過ごしていくのです。どんな人物が連鎖してこの子の心を訪れるのでしょう。

高速道路で【逆恨み】した容疑者にも幼児期があったはずです。子ども時代のない人はいません。果たして、彼の前に現れた人間はどんな人物だったのでしょうか?

~続く~

人物連鎖 ③

タイトルの人物連鎖とは何なのか。それは、食物連鎖から取った私の造語です。
私たちは何のこだわりもなく、罪を犯した人のことを加害者と呼びます。当たり前でしょう、そこに被害者がいるのですから。ただ、この『当たり前』ということにはかなりの注意が必要です。『当たり前』には真実を見落としてしまうことが、実は意外に多いのです。
まだ、害を加えていない人は、加害者ではない。
まだ、害を被っていない人は、被害者ではない。
これも『当たり前』のことです。当然です。常識です。普通です。なぜなら、目に見える出来事がまだ起きていないからです。

では、目に見えないものは出来事ではないのか?
じっくりとそのことを精査してみると、次のことがわかります。
加害者の心の中ではドラマが起きている。他人には見えない、本人だけの出来事が起きている。
そこへ焦点をあてると、さらにわかることがあります。
加害者の最初の被害者は、なんと加害者本人だったという事実です。
それは、いつのこと?そして、そこはどんな場所だったのでしょう。
そこにたどり着くためには、どうしても食物連鎖というメカニズムを観察する必要があります。

食物連鎖という言葉は英語でもfood chainといって、大きく四つほどの連鎖があるようです。ここでは代表的な捕食連鎖の中から、海洋生物を例にとります。→印は、食べられるという意味を表します。⇒印は、ヒトを含むイルカ•クジラ等の哺乳類や鳥類にも食べられることを意味します。
◆微生物→プランクトン→小魚⇒中型魚⇒大型魚⇒
この、食べる食べられるの関係は太古の昔から続いています。そうやって地球上の生物は生命を維持してきました。まるでそれは、命の一本の道のようにも見えます。
考えてみれば不思議な光景です。だからでしょう、この連鎖を見る立場によって宗教、学問が生まれる原因になったのは。これも、連鎖の一つと言えば言えるのですが本題へもどります。
汚染です。この捕食連鎖に何事もなければよかったのですが、石油流出や汚水、放射能で海洋汚染が発生してしまったら、果たして連鎖はどんな事態を迎えるのでしょう?
~続く~