人物連鎖 ⑤

言うまでもなく犯罪者は、誕生した時から犯罪者ではありません。犯罪とは罪を犯すとは、違法な行為を『する』ことです。
そこで、乳児の場合を見ていきますと、赤ちゃんは人に対して『する』ことは少なく、『してもらう』ことの方が多いということがわかります。ごく一部ですが例を挙げてみましょう。
●『する』
泣く、笑う、オッパイを吸う等々
(発汗や排せつ等の生理現象は、赤ちゃんが自分自身に「する」こととします)
●『してもらう』
あやしてもらう、かまってもらう、母乳やミルクを飲ませてもらう、汗を拭いたり着替えさせてもらう、排せつ物を処理してもらう等々

さて、赤ちゃんの日常のどの場面に【進路妨害】や【あおり運転】をやる兆しが登場するのでしょうか。
それは誰もわからないのです。
なぜなら、乳児は【進路妨害】も【あおり運転】もしないからです。つまり、まわりの人もその行為を目にすることがないということになります。
では、その元となる【逆恨み】という感情はどうでしょう。その感情が生まれる兆しを私たちは目にすることができるのでしょうか。
そこで、赤ちゃんの『する』をもう一度ふり返ってみると、それが見えてきました。
泣くの中に。
乳児の泣くという行為の原因には、大きく次の三つがあるようです。不快と恐怖と怒りです。

この三つが発生するのは、『してもらう』をしてもらっていない時です。それが極端な場合がネグレクト、無視です。たとえば、
● 不快で泣く
空腹、渇き、発熱、発汗、排せつ物の不始末
● 恐怖で泣く
放置、暴力、怒声、破壊音や激しい騒音
● 怒りで泣く
不快と恐怖を改善してもらえない時
この怒りが放って置かれたままにされていると、乳児の心は幼児期(生後一歳から満六歳頃まで)ではどうなっていくのでしょう。
困ったことに、子どもの心は内か外かへ向かうことになります。
内側へと向かう場合は、あきらめか疑いか恨みに。
外側へと向かう場合は、より激しい怒りに。

ならば、育児放棄をしている母親がひとり悪いのか?
そうではありません。
では、妻を支えていない夫と、二人が悪いのか?
そうではありません。
だとすると、二人の親族や友人知人が悪いのか?
いいえ、そうではないんです。
ということは、近所の人や出会う人がいる世間が悪いのか?
違います、誰か特定の人が悪いということではないんです。犯人を捜している訳ではありません。原因を探しているのです。

ここで、思い出して欲しいことがあります。社会を騒然とさせる事件•事故の後に、しばしば口にされる言葉です。
「なんの罪もない人が犠牲になった」
「行きずりの人が巻き込まれた」

~続く~

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