人物連鎖 最終回

事件•事故が起きるのを防いだり減らすことが、私たちにできるのか。さらには、なくすことができるのか。その話を11回にわたって進めてきました。そして最終回の今、いよいよ私たちは、どのような人物がそれを実現するのかを見ていくことになります。大人物でもなく歴史的人物でもなく中心的人物でもない、当たり前のことをする人。その人と、その人が起こす出来事は『人物連鎖』をしていきます。

連載第1回目に取り上げました【通り魔事件】【襲う】【苦しむ顔】の3つは、川崎市の事件のキーワードでした。こういった凶悪事件のメカニズムを研究している人がアメリカにいます。カリフォルニア大学の神経学者ジェイムズ•ファロン氏です。彼の研究によると、殺人を犯す傾向にある人の脳にはいくつかの共通点があるようです。それは、遺伝子の中の危険因子(狂暴性や自己陶酔性)が一般の人に比べて、犯罪者の方が多いというデータです。扁桃体・側頭葉前部・海馬などなど、脳の各パーツの形が一般人とは違っているといいます。
ところが、多くのサンプルで確証を得たファロン氏の研究は、ここで思わぬ展開をしていくのです。

以前、何かの折に撮影していたファロン氏自身の脳の写真が、犯罪者の脳写真サンプルに紛れ込んだことがありました。そうとは知らない彼は、自身の脳写真を見て、典型的な殺人犯の脳だと断定します。あとで事実がわかり驚きました。
「私は罪を犯したことがない」
しかし、彼は学者です。冷静に事実を分析し、さらに調査しました。そして洞察しました。その上で、はっきりしたこと。
「私、ジェイムズ•ファロンには幼少期の虐待経験がなかった」
「しかし、犯罪者には幼少期に虐待経験があった」

このリポートは私に、20年ほど前に見た「NHK特集」を思い出させます。そこでは、アメリカの犯罪者更生プログラムを取材していました。罪を犯した男女の服役囚10人ほどが、強制ではなく本人の意思で1週間の更生ワークショップに参加したものでした。
参加者が輪を作ってイスに座り、それぞれが聞き役になったり話し手になったりして幼少期の記憶をたどるのです。その中のひとり、20代後半の男性受刑者はレイプ犯でした。彼は輪になってイスに座ってはいるものの、不満顔でワークには加わってきませんでした。ワーク2日目あたりに彼は、ただでさえ線の細い顔をさらに神経質な表情にして、こう文句を言ったのでした。
「こんなことをやって何になる!止めちまえ!」
それでもグループワークを続けていると、ようやく彼は少しずつ心を開いてきました。やがて彼は思い出したのでしょう、泣きながら語り始めたのです。聞き手だった他のメンバーもそれを聞いて更に語り出しました。
そこでわかったことの中で主なものは、以下のことでした。
• 犯罪者の多くは、幼少期に肉体的、精神的に悲惨な体験をしている。
• 犯罪の内容が、幼少期に本人が受けた体験に重なることが多い。
(例として、レイプ犯の彼は、3歳ぐらいの時に叔父から性的イタズラを受けていた)

ファロン氏の研究成果と、更生プログラムの結果は一致を見ました。

ところがです。別の調査で、ある不思議な結果が出てきたのです。たび重なる虐待などの悲惨な体験を幼少期にしているのにもかかわらず、犯罪者になっていない人が数多くいることがわかったのです。この結果に研究者たちは戸惑いを感じました。しかし、さらに調査していくと、犯罪者とそうでない人との間に大きな違いがあることがわかってきました。
その違いは、大きいけどたったのひとつだけ。
・悲惨な体験をしていても、その人のことを理解してくれる人物が「一人」いただけで、その人は犯罪者になっていない。
・一方、罪を犯してしまった人の場合、その人のことに理解を示してくれる人物の存在は「ゼロ」でした。

私たちには、自分のことをわかってくれる人が必要だということです。自分のことを理解してくれる人が多いに越したことはありませんが、たった一人でも十分だということです。だからでしょう、私たちはそのたった一人を友に求め、異性にパートナーに求め、師に求め教え子に求めるのは。そして、親に求め、子に求め、家族に求めるのは。

それを孫に求める人がいます。もちろん、祖父母です。中でも、車を運転する機会が多いのはおじいちゃん、世に言う【高齢ドライバー】の人たちです。連載第1回目にも取り上げた高齢ドライバーによる事故は、その後も増え続けて社会問題にまでなっています。その対策のひとつに、運転免許証の自主返納を促すというのがありますが、なかなか難しいようです。家族がいくら説得しても
「自分はまだ若い。自分には車が必要だ。【自分は違う】」
と言って聞く耳を持たない【高齢ドライバー】が多いのが実態といいます。
ところが、そのおじいちゃんも孫のお願いには素直になり免許証を返納するそうです。

なぜなのでしょうか?実はこれこそが、人間関係のあり方を私たちに見せてくれていると思うのです。相手を理解する•相手に理解される、相手をわかる•相手がわかってくれる。それには、相手も自分も好意がなければ始まりません。孫は無条件に可愛いといいます。無条件とは、理屈抜きのこと。理屈とは、先入観のこと。可愛いとは、好意を持つこと。つまり、先入観なしに好意を持ってしまうということです。なぜなら、孫と祖父母のつき合いは家族の中で一番短いからです。つき合いが長いのは良いことですが、先入観も生まれやすいのが特徴です。私たちも生まれてきて少々時間が経っています。世間とのつき合いも長くなっているので、いろいろな先入観を持っているかもしれません。

さて、私たちは今日もそういう世間の中にいます。これからも、世間の道や街で人とすれ違い、電車やバスの中で人と乗り合わせ、出かけた先で人と目が合ったりするのでしょう。そのとき、悲しそうな目をした子どもがいたら声をかけてやってください。声をかけることができなかったら、好意を持ってその子を見ませんか。その子の親も辛そうなら、何かしてあげることを探すのもいいのでは。席をゆずる、荷物を持ってあげる、ほほ笑む。ただし、子どもに比べ、世間とのつき合いが長い人ほど先入観を多く持っているかもしれません。その人を緊張させないような工夫が必要です。あくまでも好意をわかってもらう範囲でということです。

下校中の小学低学年の女の子が、バスを降りるとき運転手に向かって「ありがとうございました」と挨拶しました。「気をつけてね」と運転手。私を含む乗客はそれを静かに聞いていました。バスはドアを閉めて走り出しました。エンジンの音も心なしか静かでした。その静かな車内に柔らかくて優しい何かが漂っていました。おそらくそれは、ミネラルの一種なのでしょう。すべての命の中にいるミネラルを感じたひとときでした。

ここまで読んで、次のような感想を持った人もいるかもしれません。なんと悠長な。ロマンチック過ぎないか?メルヘンだな。そこで『人物連鎖』最終回だからこそ、事件•事故が発生するメカニズムの謎を解きます。
その謎とは「急ぐ」です。
自分の強さを存在を、急いで示そうとする【進路妨害】【逆恨み】【あおり運転】
自分の弱さを見たくないあまり、いつも慌てて隠そうとする【制止しない】
自分の欲望をじっくり観察せず、すぐに遂げようとする【通り魔】【襲う】【苦しむ顔】
自分の実情の変化をはしょって、認めようとしない【高齢ドライバー】【自分は違う】

最後に。
言葉とはミネラルかなと思うことがあります。ミネラルが音になったのが声。肉眼で見える形になったのが文字、手話。触れる点字。世界の言葉、中でも日本語はかなりミネラルっぽい言語です。前回の文末で私は、『人物連鎖』の鎖を作るのにはひとつひとつの輪が、どのように開かれるのでしょうと書きました。実はそのヒントは、ミネラル日本語が示唆してくれています。言葉というか言霊というか、その響きも形も染み渡っています。
輪→○→和→我→話

~終了~

人物連鎖(11)

世間を構成しているメンバーのあなたへ、同じく世間を構成しているメンバーの私からの提案です。
お互いに人物になっていきましょう。そんなに難しくはありません。別に、大人物やひとかどの人物をめざす必要はないのです。そういう大それた人物になろうとすること自体が、人物から離れていくからです。事件•事故を減らし、防ぐ方法は『人物連鎖』が鍵を握っていることは、もう分かってきました。だったらステキな連鎖に関わる人物に加わりましょう。そこは新しい世間です。ジプシーもいました。

では、早速。
まず、あなたは鏡を見ます。もちろん正面からです。鏡の中に、もう一人の自分がいます。その自分に近づいて「どうしたの?」と心で呼びかけます。そのときに、テレないで。そして、バカらしく思わないで。そう思ってしまうことこそが、今までの世間の風潮なのですから。
森の人、いや森の人物ジプシーになったつもりで「どうしたの?」と自分にたずねて下さい。

最初のうちは、笑ってしまったり目をそらしたり閉じたりするかもしれません。そうするうちに、涙がにじんできます。落涙する人もいるでしょう。でも、それには意味があります。なんだか知らないうちに世間のメンバーになった自分のことに思い当たったり、世間で恥ずかしくない人になろうとしていた自分に気づくからかもしれません。それよりも何よりも、無意識の中にしまい込んでいたオリジナルの自分が再デビューしてきます。そういうわけで、始めのうちは居心地が悪いかもしれません。

時間がかかってもいっこうに構いません。時間の前倒しをされた私たちです。どこかで失った時間、というよりも別れ別れになっていた時間とあなたが再会するんです。前倒しされた時間が帰ってくるには、それはそれで時間がかかります。
こういったことは孤独な作業のように見えますが、決してそうではありません。実は本来の自分、本当の自分に再び会うのをサポートしてくれるスタッフがいるんです。どこにいるかというと、なんと世間にいます。それは実際に人だったり、映画や本の中の登場人物だったりします。すでに経験ずみの人も多いでしょう。今でも忘れられない出会いや、グッときた作品があなたの心を訪れたことがあるでしょう。そういう出来事たちが、私たちの味覚を復活させてくれます。ここのところ鈍くなっていた、人物と出来事を真から味わう心の味覚が、ようやく戻ってくるのです。

景色もあなたが人物になるのを手伝ってくれます。海でも山でもいいですし、シンプルに岩だけでもいいんです。盆栽でもO.K、あなたが気になる物を眺めてみて下さい。ご飯やおかずも、口に運ぶ前にちょっと見つめてみて下さい。調理する前の食材が気になるのなら、それに目をやるのもいいですね。そのすべての物に無機物が含まれています。
無機物。憶えていますか?『人物連鎖❹』の中で私が触れていたミネラルのことをです。そのときの表現に、少し訂正が必要です。そこで使った「無生物」という言葉は、「無機物(ミネラル)」のつもりで使用しました。そのミネラルが「あります」ではなく、「います」と書いたのは実は今回のためでした。
ミネラルは長い旅を続けています。景色の中には山や川や海があり、そこには必ずミネラルがいます。樹にも果実にも草にも野菜にもカルシウムや鉄というミネラルがいて、次の旅の準備をしています。やがて食べられて、鳥や獣や人の体内で旅を続けているのです。そのミネラルの滞在時間が長いか短いかで、人間は短気になったり気落ちしたりします。のんびりしたり失望したりもするのです。場合によっては貧血で寝込んでしまうこともあります。

あなたが興味を持つならの話ですが、ひとつファンタジックな提案をします。
風景を眺めて、そこにミネラルを感じてみて下さい。
木や土や水を見て、ミネラルを想ってみて下さい。
あなたの中にいるミネラルと、対象物の中にいるミネラルの存在を知って下さい。
堅苦しく考えないように。
そして、できればその対象を人に向けてみて。
道ですれ違う人、交通機関で乗り合わせた人、出かけた先にいた人。
仲間、友だち、保育園や学校の先生、近所の人。
親戚、姉妹、兄弟、親。
自分の子、誰かの子。

『人物連鎖』の話が、振出しに戻ろうとしています。まさに一回転する「輪」のようです。連鎖は鎖の連なりのこと。その鎖は、輪と輪が結ばれたものです。結ぶには、それぞれの輪が開かなければなりません。輪は、どのように開かれるのでしょう。

~次回(最終回)へ続く~

人物連鎖 ⑩

彼女はひとりの人物だったんだと私が知ったのは、その訃報を告げるニュースからでした。彼女はオランウータン、名前をジプシーといい多摩動物公園にいました。その存在は本になっているほどで、ファンは彼女のことを「ジプシーさん」と敬愛して呼んでいたそうです。飼育されているボルネオオランウータンでは世界最高齢だったジプシーは、2017年9月27日に62歳(推定)で生涯を閉じてこの世を旅立ちました。

ジプシーは数多くの人にステキな影響を与えたようです。
愛知県から毎月のように来園していた女性は、彼女に悩みを相談していたといいます。
「嫌なことがあったときに、ジプシーさんは私の前に来てくれて『どうしたの?』と目で訴えかけてくれて、とっても救われたんですよ。もういないけど、みんなの中にも、私の中にも生きていますよね、これからもずっと」
ある小学校の教師は、次のように語っていました。
「年もジプシーさんとそんなに変わらないので、動物というよりは、憧れの人生の先輩でした」
地震が起きたときジプシーは、とっさに血のつながらない子どもを守ったといいます。その女性教師は『ジプシーから多くのことを学んでほしい』と、子どもたちを授業で動物園に連れて行くこともあったそうです。

ジプシーのファンの中には、彼女と会うために1,200回以上も通った人がいます。ジプシーは、子にも仲間にも飼育員にも来園者にも、とても優しく接していたそうです。語り草になるほどのこのジプシーの人格(?)は、どうやってできたのでしょうか。
それを読み解くには、彼女がどう育ったかを知る必要があります。

1958年開園したばかりの東武動物公園には、まだオランウータン舎がなく、ボルネオ島から来た彼女(推定2歳)は、夜は獣医室で育てられ、日中は園内のさまざまな場所へ連れ出されたので「ジプシー」という名前になったといいます。
現在はワシントン条約で野生生物の輸出入が禁止または制限されていますが、当時は乱獲状態でした。ボルネオ島で孤児として保護されたジプシーも、親を乱獲で奪われたと思われます。推定2歳でのつらい境遇を経て来日したジプシー。

その彼女を待っていたのは、悲しい経験を補って余りある飼育員の温かい育て方でした。人物の登場です。やがて人物になっていくジプシーと東武動物公園のスタッフという人物たち。そういった事情を知ってか知らずか、来園者という人物たちもジプシーと優しく目を交わしたのです。『人物連鎖』の始まりです。
ジプシーは、
叱られたあとに眠るのではなく、慰められたあとに眠りました。
叩かれたあとに眠るのではなく、抱きしめられたあとに眠りました。
無視されたあとに眠るのではなく、見つめられたあとに眠りました。
怒り疲れたあとに眠るのではなく、安心しながら眠りについたのでした。
あきらめたあとに眠るのではなく、満たされながら眠っていったのでした。

出来事のあとの眠りは、その記憶をより深く刻みつけるのでしたね。ジプシーはなんてステキな出来事を心に深く刻みつけたのでしょう。ジプシーの心になんと多くの人物が訪れたことでしょう。オランウータンとは森の人のこと。森の人ジプシーは、それを食べて人物になっていきました。その彼女の仕草やたたずまいという出来事は、来園者や関係者に食べられて彼らの栄養となり、彼らをさらに人物にしていくという連鎖が始まったのでした。そこには、執着心と支配意識が生まれるようなことはなかったのです。

朝のニュースに流れてくる、生前の彼女の映像。エピソードを語る来園者。それを告げるアナウンサー。その表情がみんな柔らかい。それを見ていた私の顔もゆるむ。このニュースを見ていた多くの人の顔も、きっと柔らかくなっていったでしょう。なぜなら、ジプシーが画面に近づいてきて『どうしたの?』と目で訴えかけてくるからです。悩みをジプシーに相談していたときの女性のスマホの映像が、そのままテレビに映し出されたのです。その『どうしたの?』は、番組を見ているすべての人の目の前に近づいてきて目で訴えかけてくるのです。ボルネオオランウータンのジプシーという森の人物が、私たち人間の心に訪れた瞬間でした。

~続く~

人物連鎖 ❾

先月(2017年11月)、京都府警に全国初の専門窓口ができました。「京都ストーカー相談支援センター」です。
ここの活動に期待が集まっているのは、被害者の相談は勿論のこと、加害者にカウンセリングを受けてもらうようにしたことです。毎日新聞の記事を抜粋します。
《神奈川県で2012年に起きた逗子ストーカー殺人事件で、元交際相手の男に妹を奪われた芝多修一さんが今年3月、京都で講演した。「厳罰化されようが、警察などが連携をしようが、加害者の執着心がなくならなければ、事件は防げない」と強く訴えた。》
その思いが、識者や府警を動かして同センターを作らせたとのことです。

ストーカーにカウンセリングをという働きかけは今までもありましたが、有料でした。今回が画期的なのは、カウンセリング料を5回まで全額を公費で負担するということです。しかし、ここに至るまでには意見の違いもあったようです。
「なぜ加害者のために税金を使うのか」
それに対して、
「加害者から執着心と支配意識を取り除くことは、被害者の命を守ることにつながる」
という反論。
この、執着心と支配意識という心理はきわめて注意深く見る必要があります。なぜなら【進路妨害】【逆恨み】【あおり運転】【制止しない】【通り魔事件】【襲う】【苦しむ顔】【高齢ドライバー】【自分は違う】の中に必ず執着心と支配意識が存在しているからです。

読者の中には、こう思っている人もいるかもしれません。
「けっこう自分も執着心があるけど」
「支配意識、なくはないなあ」
でも安心して下さい。それを自分で感じているのなら、意識しているということになるから安全です。問題になってしまうのは、無意識、それを自分でわかっていない場合のことなのです。

私は先日にテレビで、実際に加害者がカウンセリングを受けているのを見ました。彼は女性のカウンセラーから、執着心がどのように生まれてくるのかの説明を受けていました。すでに数回にわたってカウンセリングを受けている加害者の感想は、強く印象に残るものでした。
「始めは、まさか自分の行為がストーカーに当てはまるとは思ってもいなかった。カウンセリングを何度か受けるうちに、自分中心の心がわかってきた」

相手が嫌がっていることが理解できないときに、犯罪につながりかねない行為が発生します。ストーカーはその典型でしょう。深刻なことに、ストーカー事件は全国的に増えてきています。
多くの人が困ることを組織が想定できないときに、やがて大被害を人びとにあたえてしまう惨事が起きます。5年前に発生した山梨県の笹子トンネル天井板落下事故では9人の方がなくなりました。詳細な点検や検査を怠っていたとして管理会社が組織罰に問われています。ただし日本の刑法では組織罰は認められていません。
アメリカ・イギリス・フランス・ドイツなどの国はすでに導入しています。組織罰とは、企業をひとつの人格とみなし、企業上層部全体の過失を罪に問えるようにしたもののです。結果、安全対策に取り組む企業が増え、事故が3割減少しました。

企業という組織も世間のひとつです。赤ちゃんは世間から被害を受けるとすでに言いましたが、大人も世間から被害を受けます。その世間のひとつが組織なのですから、組織への罰則がないということは、世間は責任を取らないということ。これでは事件•事故がどのように起きたかを分析できないし、減らしたり防いだりする対策も的はずれなものになるでしょう。

「世間」とは何でできているのでしょうか。それは、人間でできています。この国に限っていえば、わずか72年前の日本という世間はアメリカ・イギリスのことを鬼と畜生と呼んでいたのでした。鬼畜米英のことです。今という世間にはそう表現する人はいません。
このように人間だけで世間が作られていると、企業罰がない世の中と同じようにその時代に責任を押しつけておしまいにしてしまいます。つまり、いつまで経っても事件•事故の本当の原因を突き止めることができずに、世間の大人たちは寿命が尽きて次の世代の大人たちに、何だか分からずじまいの世間というバトンをリレーするのです。

この謎のシステムを解き明かすために私は、『人物連鎖』という言葉を造語しました。一体、世間には何が欠けているのでしょうか。言うまでもなく、それは人物です。
あなたのまわりを観て下さい。じっくりと眺めてみて下さい。人物が、静かにいるはずですよ。すぐに見つからなくてもO.K。あなたも静かになれば、しだいに人物が誰なのかが見えてきます。
それもそうだけど、まわりの人物を探しながら同時に、あなた自身も人物になってはいかがですか?人物になるのは、実はそれほど難しいことではないのです。

ヒトは人間になり、人間は人物になることができます。なぜなら、私たちが生まれるということは、始めから人物の種子を授かっているからなのです。そのタネに水と養分と光を、そして何よりも時間を与えてくれるのが、すでにいる人物と、人物が起こしてくれた出来事なのです。だからこそ、それが与えられないときに乳幼児は不快で泣き、恐怖で泣き、怒りで泣くのです。

それが十分に与えられたからでしょう、オランウータンが人物になった話をしましょう。
~続く~

人物連鎖 ❽

赤ちゃんが口でオッパイを吸っている
赤ちゃんが目でお母さんのまなざしを吸っている
赤ちゃんが肌でお母さんのぬくもりを吸っている

お母さんの口はフフッと声をもらした
お母さんの目はニコッと笑っている
お母さんの体がも少しあったかくなった

生物にとって食物は欠かせませんが、中でも人間にとって最も大切な食べ物は、出来事と人物だと私は述べました。大人はそれを味わえなくなっているとも言いました。
では、そもそも出来事と人物はどんな味がするのでしょうか?
辛かったり甘かったり渋かったりするのでしょうか?
そのとおりです。私たちが世の中を語るとき、辛口の評価、ほろ苦い思い出、甘い計画、渋い人物といった味覚を表した言葉を使うことが多いではありませんか。ただ、残念なことに大人はその正しい味覚を失くしてしまった。というより、幼少期までに忘れさせられたと言っていいと思います。そう、時間の前倒しによって。

ずいぶん昔の交通標語にこんなものがありました。
『せまい日本、そんな急いでどこへ行く』
社会は忙しく動いています。今や都会に限らず、ゆったりと見える地方でも心の中は忙しい。ビジネス(仕事)の語源がビジー(忙しい)なのは皮肉なことです。

乳児は幼児に成長し、少年少女になってやがて成人していくのは、目に見えてわかります。肉体ほどビジュアルなものはありませんから。ところが、その中身の心の方はどうかというと、これが見えにくい。でも、そこをなんとか表わそうとしている言葉はあります。青年と成年です。辞書では以下のように出ています。
青年(青春期の男女。14,5歳から24,5歳まで)
成年(人が成長して完全な行為能力を有するに至る年齢。日本の民法上は満20歳)
ほう、そうですかと言うしかありません。

さて、赤ちゃんは出来事と人物をどうやって食べるのか。そこに焦点を当てましょう。一般的な食べ物は口から入ってきます。それがその子の肉体を成長させます。ところが、出来事や人物を食べるときは口以外の器官を使います。眼、耳、鼻、身の4つです。起きている事や人を、見て、聞いて、匂いを嗅いで、肌で感じて入ってくるのです。どこへ入ってくるのか?心という組織へ入ってくるのです。それがその子の意識と無意識を育てます。つまり、ヒトが心身ともに人間になり人物になっていくには、眼、耳、鼻、口(舌)、身の五官が不可欠ということになります。それが意識を作っていくのでしょう。

「五感のはたらき」プラス意識は、「第六感」という言葉を生みました。鋭く物事の本質をつかむ心のはたらきのことをそう言うようです。眼、耳、鼻、舌、身、意とくると何だか般若心経のようですね。関心のある方は、解説や関連の本が多数ありますからどうぞ。ここでは、乳幼児が出来事と人物をどのように消化していくのかを精査して行く方へカジをとります。

赤ちゃんの睡眠時間は日に16時間という調査結果が出ています。大人の2倍以上の睡眠は、肉体の成長のためだということは誰でも知っています。ところが、最近の研究で注目すべきことがわかったのです。それは、睡眠と記憶の深い関係です。
出来事の直後の眠りは、その記憶をより深く刻みつけるのです。
世界中の子どもは、良く寝ます。寝る子は育つ、本当にスクスクと育って欲しいものです。では、
叱られたあとは?大人よりは寝ます。
叩かれたあとは?直後は無理でも、よく寝ます。
無視されたあとは?さみしいけど、結局のところ寝ます。
怒りが収まらなくても?しだいに泣き疲れて泣き寝入りです。
あきらめてしまったあとは?それでもやっぱり寝てしまうのです。
睡眠でこの子は、果たしてどのような記憶を心に刻みつけるのでしょう。
~続く~