人物連鎖 ❾

先月(2017年11月)、京都府警に全国初の専門窓口ができました。「京都ストーカー相談支援センター」です。
ここの活動に期待が集まっているのは、被害者の相談は勿論のこと、加害者にカウンセリングを受けてもらうようにしたことです。毎日新聞の記事を抜粋します。
《神奈川県で2012年に起きた逗子ストーカー殺人事件で、元交際相手の男に妹を奪われた芝多修一さんが今年3月、京都で講演した。「厳罰化されようが、警察などが連携をしようが、加害者の執着心がなくならなければ、事件は防げない」と強く訴えた。》
その思いが、識者や府警を動かして同センターを作らせたとのことです。

ストーカーにカウンセリングをという働きかけは今までもありましたが、有料でした。今回が画期的なのは、カウンセリング料を5回まで全額を公費で負担するということです。しかし、ここに至るまでには意見の違いもあったようです。
「なぜ加害者のために税金を使うのか」
それに対して、
「加害者から執着心と支配意識を取り除くことは、被害者の命を守ることにつながる」
という反論。
この、執着心と支配意識という心理はきわめて注意深く見る必要があります。なぜなら【進路妨害】【逆恨み】【あおり運転】【制止しない】【通り魔事件】【襲う】【苦しむ顔】【高齢ドライバー】【自分は違う】の中に必ず執着心と支配意識が存在しているからです。

読者の中には、こう思っている人もいるかもしれません。
「けっこう自分も執着心があるけど」
「支配意識、なくはないなあ」
でも安心して下さい。それを自分で感じているのなら、意識しているということになるから安全です。問題になってしまうのは、無意識、それを自分でわかっていない場合のことなのです。

私は先日にテレビで、実際に加害者がカウンセリングを受けているのを見ました。彼は女性のカウンセラーから、執着心がどのように生まれてくるのかの説明を受けていました。すでに数回にわたってカウンセリングを受けている加害者の感想は、強く印象に残るものでした。
「始めは、まさか自分の行為がストーカーに当てはまるとは思ってもいなかった。カウンセリングを何度か受けるうちに、自分中心の心がわかってきた」

相手が嫌がっていることが理解できないときに、犯罪につながりかねない行為が発生します。ストーカーはその典型でしょう。深刻なことに、ストーカー事件は全国的に増えてきています。
多くの人が困ることを組織が想定できないときに、やがて大被害を人びとにあたえてしまう惨事が起きます。5年前に発生した山梨県の笹子トンネル天井板落下事故では9人の方がなくなりました。詳細な点検や検査を怠っていたとして管理会社が組織罰に問われています。ただし日本の刑法では組織罰は認められていません。
アメリカ・イギリス・フランス・ドイツなどの国はすでに導入しています。組織罰とは、企業をひとつの人格とみなし、企業上層部全体の過失を罪に問えるようにしたもののです。結果、安全対策に取り組む企業が増え、事故が3割減少しました。

企業という組織も世間のひとつです。赤ちゃんは世間から被害を受けるとすでに言いましたが、大人も世間から被害を受けます。その世間のひとつが組織なのですから、組織への罰則がないということは、世間は責任を取らないということ。これでは事件•事故がどのように起きたかを分析できないし、減らしたり防いだりする対策も的はずれなものになるでしょう。

「世間」とは何でできているのでしょうか。それは、人間でできています。この国に限っていえば、わずか72年前の日本という世間はアメリカ・イギリスのことを鬼と畜生と呼んでいたのでした。鬼畜米英のことです。今という世間にはそう表現する人はいません。
このように人間だけで世間が作られていると、企業罰がない世の中と同じようにその時代に責任を押しつけておしまいにしてしまいます。つまり、いつまで経っても事件•事故の本当の原因を突き止めることができずに、世間の大人たちは寿命が尽きて次の世代の大人たちに、何だか分からずじまいの世間というバトンをリレーするのです。

この謎のシステムを解き明かすために私は、『人物連鎖』という言葉を造語しました。一体、世間には何が欠けているのでしょうか。言うまでもなく、それは人物です。
あなたのまわりを観て下さい。じっくりと眺めてみて下さい。人物が、静かにいるはずですよ。すぐに見つからなくてもO.K。あなたも静かになれば、しだいに人物が誰なのかが見えてきます。
それもそうだけど、まわりの人物を探しながら同時に、あなた自身も人物になってはいかがですか?人物になるのは、実はそれほど難しいことではないのです。

ヒトは人間になり、人間は人物になることができます。なぜなら、私たちが生まれるということは、始めから人物の種子を授かっているからなのです。そのタネに水と養分と光を、そして何よりも時間を与えてくれるのが、すでにいる人物と、人物が起こしてくれた出来事なのです。だからこそ、それが与えられないときに乳幼児は不快で泣き、恐怖で泣き、怒りで泣くのです。

それが十分に与えられたからでしょう、オランウータンが人物になった話をしましょう。
~続く~

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