梵鐘の響きには風情がありますが、最近お寺の鐘の音が聞こえてくる機会は、めっきり減ってきましたね。主な原因は、車や街の騒音と、ビルが建ち並んで遮音されるケースが増えたことにあるかもしれません。それでもなんとか寺を探し出したとしても、鐘楼があるとは限りません。なので、幸運にも梵鐘と出会えた人は、じっくり鐘を観察してみて下さい。
鐘の表面には色々な凹凸がありますよね。よく見ると、浮き彫りの文字で経が書いてあったり、クルミ大のボツボツであったり、パターン化された模様の場合もあります。それらの凹凸の最大のねらいは、音の余韻のためです。いかに長く鐘の音を響かせるか、鐘作りの職人の技の見せどころです。鐘の音色を良くするのは当然のこと、大事なのは、どれだけしっかりした余韻を創ることができるのかです。
「ゴーン」「カーン」「グォォォン」など、鐘の音を文字にすると劇画っぽくなってしまいますが、実はこういった音は全て、あるひとつの余韻に向かって行くように工夫されているんです。寺の鐘が鳴り響いた後に、どうか耳を澄ましてみて下さい。なるべく鐘のそばに近づいて耳を傾けて下さい。寺が近くにない場合は、仏壇の鐘に傾聴して下さい。余韻の世界が始まります。
アルファベットにすれば“Aum”、片仮名だと「アウム」「オウム」「オーム」。こういった響きが余韻として、くり返し聴こえてきませんか?その響きを歌詞にしているのが、ビートルズの『アクロス•ザ•ユニバース』(作詞•曲ジョン•レノン)のサビの部分です。この場合は、「ohm」と聴こえてきます。そこでは、宇宙音として歌われています。さて、この音を漢字で書くと「阿吽」。つまり、阿吽の呼吸の「あ・うん」ですね。二人の息はぴったりだ、ツーカーだというときの「あ・うん」です。
「あ」は産声の「アー」、誕生の時の音です。世界中、どの民族でも誕生の瞬間の第一声は、ハ長調の「ラ」の音といわれています。440サイクルですね。オーケストラの音合わせに使っています。まずはオーボエ奏者が「ラ」を吹き、それにコンサートマスターのバイオリンが合わせ、さらに楽団員たちが合わせていきます。最近は442サイクルを基準に調音しているようですね。重いと思われがちなクラシックのイメージを変える意図もあるようです。
「うん」はこの世を去っていく時の声、臨終の音です。近ごろは耳にしませんが「タタミの上で死にたい」とは、安らかに天寿を全うしたいとの願いでしょうか。海外では、どのように表現するんでしょうね。最期の時を迎えると人は、まるでひたすら息を吸ってるかのように息を吸います。吸い終えると一瞬、間が空きます。と、今度はその息をゆっくり吐き始めます。その時に、かすかに、あるいはしっかりと聞こえてくる声があります。「うーん」という音です。
あ・うんとは、この世に登場する時の音と、この世を退場する時の音です。神社や寺の境内に鎮座している左右の狛犬は、一方は「あ」と口を開け、他方は「うん」と口を結んでいます。それらは獅子に似た獣が多いんですが、その獅子さんが琉球風になまって「シーサー」になったそうです。。では、この世に来る前の音は?この世を去った後の音は?どこにいるのでしょう。
奈良の東大寺の金剛力士像は、南大門の中で仁王立ちしています。口を開けた阿形(あぎょう)、口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対です。その「あ・うん」の音たちは、仁王門とか山門と呼ばれる門の中にいます。狛犬の場合は、その一対そのもので門構えを作っています。門という字の中に音という字を書くと、闇。どうやら、音たちのいる場所は闇という所のようです。
次回は、見えないといわれている闇を観ます。