音のいる場所に耳を澄ます

音という字を門という字の中に入れると、闇という字にになります。音という字の左に日という字を書くと、暗いという字になります。闇も暗も、音という聴覚の世界の字が含まれているでしょう。それなのに闇の中とか真っ暗とか、まるで視覚の世界を表現する言葉になっています。どうしたんでしょうね。

一方で、観音樣という存在が日本国中の寺や、場合によっては博物館にあります。観音、音を観るんですって。正確には観世音菩薩、世の音を観ている菩薩さまですね。菩薩とは、修行する人ということになりますか。ここで思い出してもらいたいのが、懐疑という感覚です。音とは、聴くものであったり聞こえるものであるはずです。ところが、音を観る、こうなってくるんです。

音色は、ネイロとかオンショクと読みます。色は視覚の領域です。では、音の色とは私たちの五感のどれを働かせたらいいのでしょう。聴覚でしょうか視覚でしょうか⁉️ベートーベンの耳がまだ聞こえていた頃の話ですが、とても興味深いエピソードが伝わっています。オーケストラのリハーサルの指揮をしていたベートーベンは、トランペット奏者に向かって大声で次のように指示しました。
「もっと紫色で吹いてくれ!」

音はアルファベットでは、OTOと表記します。ずいぶん前のことですが、海苔のテレビCMで『上から読んでも下から読んでも山本山』というのがありましたが、OTOは右から読んでも左から読んでもオトです。映画『未知との遭遇』の中で、「その音はどこから聞こえてきた?」と問うと、群衆はみんな一斉に腕を突きあげて天を指さすシーンはとても印象的でした。

次回は『音のいる場所』を凝視します。

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