音即是色

音は即ち色だという、その典型は「虹」だと思います。外側に赤、内側は紫の、一般的には七色が虹の色の数のようです。でも、中にはネイティヴアメリカンのように六色に見える人たちもいます。インディゴブルー(藍色)を数えないのです。

色には波長があって、肉眼に感ずる、いわゆる可視光線は380~800ナノメートル程度。それを超えると紫外線や赤外線のように、目で見ることができない色もあります。音の特徴のひとつの、可聴域にソックリですね。そこで、色を音にして歌っているザ•バディタイムの曲を紹介します。

ナイン•カラード•レインボー

一つ、ひらがなのように              やさしい
二つ、不思議に見えても              そうでもない
三つ、見上げてさがした              空の虹
虹は空から人に                               問いかける
七色を支えるのは                           二つの色
心の闇と光の                                   黒と白
ナイン•カラード•レインボー      9colored rainbow
色いろ 泣いて 色いろ 笑う

四つ、ようやく空は                      晴れたから
五つ、今まで夢見た                      日が来たね
六つ、難しいを やめ                     てから
虹は空から人に                               問いかける
色たちが眠る                                   黒い夜
色たちが踊る                                   白い朝
ナイン•カラード•レインボー      9colored rainbow
色いろ 泣いて 色いろ 笑う

七つ、何度も心から                    祈り願う
八つ、安らかな国                        コスタ・リカ
九つ、コスタ・リカに                習おう
七色の虹から                                 九つ色に
命つくる色が                                 見えてくる
心の闇と光の                                 黒と白
ナイン•カラード•レインボー     9colored rainbow
色いろ 泣いて 色いろ 笑う
ナイン•カラード•レインボー     9colored rainbow 9colored rainbow

次回は、『本当の自分』です。

追跡→過去、現在、未来

梵鐘の響きには風情がありますが、最近お寺の鐘の音が聞こえてくる機会は、めっきり減ってきましたね。主な原因は、車や街の騒音と、ビルが建ち並んで遮音されるケースが増えたことにあるかもしれません。それでもなんとか寺を探し出したとしても、鐘楼があるとは限りません。なので、幸運にも梵鐘と出会えた人は、じっくり鐘を観察してみて下さい。

鐘の表面には色々な凹凸がありますよね。よく見ると、浮き彫りの文字で経が書いてあったり、クルミ大のボツボツであったり、パターン化された模様の場合もあります。それらの凹凸の最大のねらいは、音の余韻のためです。いかに長く鐘の音を響かせるか、鐘作りの職人の技の見せどころです。鐘の音色を良くするのは当然のこと、大事なのは、どれだけしっかりした余韻を創ることができるのかです。

「ゴーン」「カーン」「グォォォン」など、鐘の音を文字にすると劇画っぽくなってしまいますが、実はこういった音は全て、あるひとつの余韻に向かって行くように工夫されているんです。寺の鐘が鳴り響いた後に、どうか耳を澄ましてみて下さい。なるべく鐘のそばに近づいて耳を傾けて下さい。寺が近くにない場合は、仏壇の鐘に傾聴して下さい。余韻の世界が始まります。

アルファベットにすれば“Aum”、片仮名だと「アウム」「オウム」「オーム」。こういった響きが余韻として、くり返し聴こえてきませんか?その響きを歌詞にしているのが、ビートルズの『アクロス•ザ•ユニバース』(作詞•曲ジョン•レノン)のサビの部分です。この場合は、「ohm」と聴こえてきます。そこでは、宇宙音として歌われています。さて、この音を漢字で書くと「阿吽」。つまり、阿吽の呼吸の「あ・うん」ですね。二人の息はぴったりだ、ツーカーだというときの「あ・うん」です。

「あ」は産声の「アー」、誕生の時の音です。世界中、どの民族でも誕生の瞬間の第一声は、ハ長調の「ラ」の音といわれています。440サイクルですね。オーケストラの音合わせに使っています。まずはオーボエ奏者が「ラ」を吹き、それにコンサートマスターのバイオリンが合わせ、さらに楽団員たちが合わせていきます。最近は442サイクルを基準に調音しているようですね。重いと思われがちなクラシックのイメージを変える意図もあるようです。

「うん」はこの世を去っていく時の声、臨終の音です。近ごろは耳にしませんが「タタミの上で死にたい」とは、安らかに天寿を全うしたいとの願いでしょうか。海外では、どのように表現するんでしょうね。最期の時を迎えると人は、まるでひたすら息を吸ってるかのように息を吸います。吸い終えると一瞬、間が空きます。と、今度はその息をゆっくり吐き始めます。その時に、かすかに、あるいはしっかりと聞こえてくる声があります。「うーん」という音です。

あ・うんとは、この世に登場する時の音と、この世を退場する時の音です。神社や寺の境内に鎮座している左右の狛犬は、一方は「あ」と口を開け、他方は「うん」と口を結んでいます。それらは獅子に似た獣が多いんですが、その獅子さんが琉球風になまって「シーサー」になったそうです。。では、この世に来る前の音は?この世を去った後の音は?どこにいるのでしょう。

奈良の東大寺の金剛力士像は、南大門の中で仁王立ちしています。口を開けた阿形(あぎょう)、口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対です。その「あ・うん」の音たちは、仁王門とか山門と呼ばれる門の中にいます。狛犬の場合は、その一対そのもので門構えを作っています。門という字の中に音という字を書くと、闇。どうやら、音たちのいる場所は闇という所のようです。

次回は、見えないといわれている闇を観ます。

音のいる場所を凝視する

ツートーンカラーという和製英語があります。辞書で調べると、意味はもちろんのこと、実に興味深いことが書いてありました。以下、そのまま転載しますね。
同系または互いに調和する二色を並べて彩ること。また、そのように配色されたもの。【英語は単にtwo-tone(d)】
以上で記述は終わっているんですが、それではどこが和製英語かというと、カラー(色.色彩.特色)という単語を加えているからーなんです。

では、モノトーン[monotone]はというと
① 単調.一本調子.
②《音》単音.単調音.
③《美》単色画.

そして、トーン[tone]になると
① 音色.音調:音.
② 語調.口調.論調
あとは⑦項目まで、色合いとか明暗など視覚的な意味合いの記述が続きます。
こうなってくると、前に読んでいただいた『ガットギターのガットからガッツ石松は腸石松』の時とソックリの感覚がよみがえってきませんか?あの時、洋の東西を問わずと書きましたが、英語でも音という単語には、まるで色のように、見る、観る、という視覚的な感じが強いんです。

では、音のいる場所とはどこでしょう?凝視して、その場所を探してみましょう。それには、まず音たちの特徴を思い出す必要があります。
たとえば犬笛です。
私たち人間には聴こえない音なのに、犬たちはスグに反応します。
たとえば自動車です。
ストップ寸前の超低速の車に乗り合わせたときには、当然エンジンの音は低くなりますが、何だか気持ち悪くなることがあります。
どちらも私たち人間の可聴域を超えている、高周波や低周波の音です。ヒトの可聴域は、年齢差や個人差はありますが、だいたい16ヘルツから20キロヘルツあたりです。

松本清張の小説に『砂の器』という傑作があります。映画『砂の器』も原作を凌駕するほどの出来ばえでした。実はこのストーリーに、大きく音が関係しています。どう関係しているのかは、まだ御覧になっていない方のために詳細には述べません。何しろ、推理物ですから。

本題に戻りますね。音のいる場所でしたね。話を整理しますと、その場所とは次の三ヶ所です。過去と現在と未来です。昨日と今日と明日です。何だぁ!ソレは⁉️と声が聞こえて、いや、音が聴こえてきそうです。でも今は話を先へ進めます。イルカの鳴き声やクジラの鳴き声はポプュラーになりましたが、正確には鳴き声というよりも会話だと認識されています。では、象の鳴き声はどうでしょう。この場合もやっぱり会話や言語と見た方がいいようです。

ドキュメンタリー映画『地球交響曲第一番』(龍村仁監督)の中で、象たちが私たちに重要なことを教えてくれるシーンがあります。鳴き声では届かないほど遠くの仲間との連絡に、なんと彼らはテレパシーを使うんです。象たちのテレパシーの方法は、低周波を利用していました。

次回は、今回の続きです。過去、現在、未来の中の音を追跡します。

音のいる場所に耳を澄ます

音という字を門という字の中に入れると、闇という字にになります。音という字の左に日という字を書くと、暗いという字になります。闇も暗も、音という聴覚の世界の字が含まれているでしょう。それなのに闇の中とか真っ暗とか、まるで視覚の世界を表現する言葉になっています。どうしたんでしょうね。

一方で、観音樣という存在が日本国中の寺や、場合によっては博物館にあります。観音、音を観るんですって。正確には観世音菩薩、世の音を観ている菩薩さまですね。菩薩とは、修行する人ということになりますか。ここで思い出してもらいたいのが、懐疑という感覚です。音とは、聴くものであったり聞こえるものであるはずです。ところが、音を観る、こうなってくるんです。

音色は、ネイロとかオンショクと読みます。色は視覚の領域です。では、音の色とは私たちの五感のどれを働かせたらいいのでしょう。聴覚でしょうか視覚でしょうか⁉️ベートーベンの耳がまだ聞こえていた頃の話ですが、とても興味深いエピソードが伝わっています。オーケストラのリハーサルの指揮をしていたベートーベンは、トランペット奏者に向かって大声で次のように指示しました。
「もっと紫色で吹いてくれ!」

音はアルファベットでは、OTOと表記します。ずいぶん前のことですが、海苔のテレビCMで『上から読んでも下から読んでも山本山』というのがありましたが、OTOは右から読んでも左から読んでもオトです。映画『未知との遭遇』の中で、「その音はどこから聞こえてきた?」と問うと、群衆はみんな一斉に腕を突きあげて天を指さすシーンはとても印象的でした。

次回は『音のいる場所』を凝視します。