夏休みになってすぐにCと私はイサミやんの家に遊びに行った。橋を三つ渡ったところに家はあった。近くには鉄道と鉄橋があった。ところが、そこからいきなり記憶がスキップする。
Cと私は、アイスキャンディをなめているのだ。ときどき、かんでいる。イサミやんからのご馳走なので大事に大事に食べている。その場所は記憶にない。暑かったからなのか、脳の中はアイスキャンディしかない。
と、突然Cと私は牧場みたいな所にいる。みたいなというのは、二人は牛を見ているので。そこは、ボクジョーという広さよりマキバのように狭かった。原っぱかな。
Cと私は、牛の背後にまわる。牛はシッポを左右に上下に振っている。尻のまわりのハエをシッポでたたいているようだ。ハエは逃げたふりして同じ場所にすぐ舞い戻ってくる。シッポはハエをたたくというよりは、風を巻き起こして追っ払っている。ハエは逃げてまた戻る。そのくり返しを二人で眺めていた。
炎天下、牛のシッポが左右に大きく振れて尻が丸見えになったときだった。牛がいきなり巨大な声で「もおぉぉ」と啼いた。と同時に二人の目の前の牛の肛門と性器がふくらんだのだ。牛の声は口から出ているというのに、「もおぉぉ」はまるで肛門と性器から出ているようだった。これはうけた。Cと私は驚くというよりも興奮していた。お互いに目を交わした。見たぁ?見た!そんな顔だった。二人は、今まで見た事ないものを見たという大発見をしたのだ。牛は啼くとき、性器をふくらます!
その後Cと私は、事あるごとに合掌した手をふくらませながら「もおぉぉ」と言い合った。互いの両手を性器に見立てているのだ。そのとき二人はニコッと笑う。二人だけの、二人にしか分からない秘密なのだ。
小4といえば10歳。児童心理学でいう『ギャングエイジ』で、世界中の少年少女たちの危機のときでもある。性の目覚めが重なるからだ。日本では『徒党時代』といっているが、子供たちが【連れ】を求めて仲間意識が芽生えるのがこの時代だという。どんな仲間で、その人数は多いのか少ないのか。イサミやんは小学校教師なってそこを目撃したかったのではないか?重大な1年を見届けたので中学校教師に戻って行ったのではないのか?
私はCと徒党を組んだ。つまり、ギャングのメンバーは二人という事になる。性格の違う二人だが、好みは一緒だった。これは良かった。ゆっくりのCと、ぐいぐい行く私。
そんな私にも危機と呼べるものはあった。同じクラスのHとその仲間の言動だ。Hたちは、しばしば私をからかった。
小2の3学期にネフローゼ(腎臓病)で入院した私は、小3の1年間というもの、体育の授業はほとんどが見学をさせられた。今度再発したら、もう治らないと医者に言われていたのだった。私は怖かった。なぜなら、となりのベッドの1歳年上の岩田君は、私と同じ病名で死んでいったから。私は臆病になった。そのせいか、本来の体の動きが戻るのに時間がかかっていた。そういうときに私は4年5組の生徒になっていた。そしてスポーツは苦手だと思い込んでいる状態だった。
そこをHにからかわれたのだ。口惜しかったが体が反応しなかった。それがまた私を情けなくさせるので困った。
そんなとき、私にはCがいた。二人でサーカスに行ったときの事だ。そのサーカスにくっつくようにしている見世物小屋にも入った。小屋に入ることを学校は禁止していたが、禁止されている事ほど興味をそそるものはない。面白い事を探す手間が省けるのだ。当然のようにCと私は20円ずつ出して入った。出し物は、禁止されている事を忘れてしまうくらい面白かった。見終わってあたりを見回すと、私たち以外は全員大人だった。
Cと私は何度もうどんを食べた。サーカスの帰りのときも、うどんを食べた。寒かったので唐辛子をたっぷりかけて食べることにした。思った通り体がカッカしてきた。そのまま間を置かずに自転車を飛ばして帰ったら、全然寒くなかった。狙いが大成功だったので、二人はまたニコッと笑った。そんな日々が、Hたちのからかいを忘れさせた。そのうち私の体力も回復してきたからなのか、Hはからかうのを止めた。すると、その仲間もからかうのを止めた。
2017年7月13日、真夏の吉祥寺。私はCと会ってイサミやんの思い出を確認していました。エピソードはたくさんありましたが、Cの記憶と私の記憶はほぼ合致しました。ただし、その『ほぼ』という点で微妙なのです。暑かったからなのか、アイスキャンディの話になったとき、Cは言いました。
「イサミやんの家に行ったのは二人だけだったっけ?」
「エッ?他にいた?」と、私。
その後、二人だけのような、何人かいたような話が続きましたが、やっぱり『もおぉぉ』が強烈で、人数の話題は吉祥寺の炎天下と延岡の炎天下に溶けていきました。
Cの記憶で不思議だったのが、話が小学校時代そのものに及んだときです。イサミやんの印象が強くて、5年6年時の担任が誰だったのか思い出せないと言うんです。これは不思議というより愉快です。4年5組の同窓生の私としては、Cと目を合わせてニコッとする場面です。実際、そうしました。4年5組の同じ窓の、内と外。そこで見た景色は鮮やかです。やっぱりこれは、降って湧いた1年でした。