イサミやん

その人は、1年間だけ人生を変えてみた。
小学校教師になったのだ。
1年後にもどった元の職業は中学校教師。
一度だけでいいから、小学生にかかわってみたかったという。

そのわずか1年間の始まりは1960年4月。その人がかかわった、いや、教えた場所は、宮崎県延岡市立恒富小学校4年5組。東西に細長い校舎は一見すると1階建て。でも、よく見ると西の端だけ2階建てで、それはまるで1教室が空から降ってきたようにも、校舎から生えてきたようにも見えた。降って湧いたクラス、4年5組はそこにあった。そして9歳の私はそこにいた。

新学期が始まって数日が過ぎた頃、ひとりの転校生がやって来た。Cという名の彼は医者の息子でノッポ、私は自転車屋の息子で固太り。二人はその日に友達になった。
「いや、違う」とCは言う。「すぐに友達になった訳じゃない」と今でも言う。
Cのその日の記憶はなかなか具体的で説得力があって、私には分が悪い。

彼はその日、下校してランドセルを家に置くとスグにでかけたそうな。
引っ越しした日に見つけておいた駄菓子屋に行くために。
その店の正式名称は『青木商店』、われわれ子供たちの呼び名は『ゴロウさんの店』。
Cは、何を買うでもなく店に入った。(今でも、そうだ)
そこに私がいたと言う。(記憶にない)
私と目が合うと(そうかぁ?)、私は彼にこう言ったらしい。(何て?)
「なんかオゴレ」(えっ!)
Cは驚いた。
転校してきた日に『なんかオゴレ』と言うヤツがいるんだ。(ヘイ、バディ!)
Cは少しだけボーッとなった。(友だちのチョットしたアイサツだろ⁉︎)
そして彼は私に何かオゴッタ。(合格⁉︎)
この件だけは二人の言い分は違うが、他はバッチリ合っている。特に4年5組の記憶は。

Cと私は、その人のことを「イサミやん」と密かに言った。いや、クラスのほとんどの男子が密かに「イサミやん」と呼んでいたかもしれない。九州では親しみを込めて名前に『やん』を付けて呼ぶ。それ程、きのした いさみ(木下 勇)先生のことをみんな好きだった。

イサミやんは変わった人だった。クシャミが始まると、まず止まらない。毎回それは、30数発は続く。数がわかるのはクラス全員で声を出して数えたからだ。クシャミも大きかったけど私たちの声も大きかった。
「いーち、にーい、さーん、しー」と歓声に近い声で数えた。ドキドキしながら数を数えた。みんな、記録更新を期待していたからだ。

イサミやんは不思議な先生だった。やや彫りの深い顔に、濃い眉がすっきりとしていて、その下の目が優しかった。その目が本に向けられる・・・・・。5秒くらい。
そして私たち生徒に向けられる。先生の目が再び本に戻ると、それが始まる。怪談だ。

給食は掻っ込むように食べた。女子を除いて男子のほとんどが早食いだった。誰もが昼休みの時間がイノチで、とにかく早く遊びたかった。廊下で『馬乗り』、グラウンドで『馬蹴り』『磔(はりつけ)』『ひょうたん鬼』『三回まわり』。上級生、下級生の違いはあっても男子のほとんどが教室の外で遊んだ。4年5組を除いて。

もちろん私たちも給食は早く食べた。女子は女子なりに。そこまでは他のクラスと同じ。ただし、何の為かが違った。昼休みとは、イサミやんの怪談話が聞ける時間なのだ。ラフカディオ•ハーン、小泉八雲の『怪談』の朗読だ。いや、イサミやんのは朗読というよりも講談のようだった。朗読は目を閉じていても聞けるけど、私たちは目をそらす訳にはいかなかった。イサミやんの顔に。その表情に。

「ホーイチ」
平家の落武者になっているイサミやんの顔。濃い眉の下の眼が鋭い。
「ホーイチ」
低い声だ。地べたを這って聞こえて来る。すでに私たちは芳一になっている。女子も男子も金縛りだ。いや、これでいいんだ。動くと、今夜もまた落武者に連れて行かれる。
「ホーイチ」
落武者の声が荒くなっている。いつもの琵琶法師が今夜に限って見つからない。

『耳なし芳一』はこうやって語られていく。毎日、少しづつ。それから校庭で遊んだ。

『むじな』の話の時のこと。女の顔を見てしまった商人は、驚いて紀の国坂を駆け上って逃げた。あたりは真っ暗だ。見回している事さえ暗いので分からない。走って走って走る。走っている気がしない。暗すぎるのだ。
と、そこに明かりが見える。おぉ、人だ。屋台のそば屋だ。き、き、聞いてくれッ。
「どうしなすった」
そば屋が問う。
「み、見たんだッ。顔が」
商人のかすれ声。そば屋が自分の顔をなでながら言う。
「その女は、こんな顔かい」
イサミやんのそば屋の、イサミやんの商人の、イサミやんの女の、その顔、顔、顔。
固唾を呑む4年5組。降って湧いた教室。
降って来たようなイサミやん。
湧いて来たような1年間。

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