人物連鎖 ⑩

彼女はひとりの人物だったんだと私が知ったのは、その訃報を告げるニュースからでした。彼女はオランウータン、名前をジプシーといい多摩動物公園にいました。その存在は本になっているほどで、ファンは彼女のことを「ジプシーさん」と敬愛して呼んでいたそうです。飼育されているボルネオオランウータンでは世界最高齢だったジプシーは、2017年9月27日に62歳(推定)で生涯を閉じてこの世を旅立ちました。

ジプシーは数多くの人にステキな影響を与えたようです。
愛知県から毎月のように来園していた女性は、彼女に悩みを相談していたといいます。
「嫌なことがあったときに、ジプシーさんは私の前に来てくれて『どうしたの?』と目で訴えかけてくれて、とっても救われたんですよ。もういないけど、みんなの中にも、私の中にも生きていますよね、これからもずっと」
ある小学校の教師は、次のように語っていました。
「年もジプシーさんとそんなに変わらないので、動物というよりは、憧れの人生の先輩でした」
地震が起きたときジプシーは、とっさに血のつながらない子どもを守ったといいます。その女性教師は『ジプシーから多くのことを学んでほしい』と、子どもたちを授業で動物園に連れて行くこともあったそうです。

ジプシーのファンの中には、彼女と会うために1,200回以上も通った人がいます。ジプシーは、子にも仲間にも飼育員にも来園者にも、とても優しく接していたそうです。語り草になるほどのこのジプシーの人格(?)は、どうやってできたのでしょうか。
それを読み解くには、彼女がどう育ったかを知る必要があります。

1958年開園したばかりの東武動物公園には、まだオランウータン舎がなく、ボルネオ島から来た彼女(推定2歳)は、夜は獣医室で育てられ、日中は園内のさまざまな場所へ連れ出されたので「ジプシー」という名前になったといいます。
現在はワシントン条約で野生生物の輸出入が禁止または制限されていますが、当時は乱獲状態でした。ボルネオ島で孤児として保護されたジプシーも、親を乱獲で奪われたと思われます。推定2歳でのつらい境遇を経て来日したジプシー。

その彼女を待っていたのは、悲しい経験を補って余りある飼育員の温かい育て方でした。人物の登場です。やがて人物になっていくジプシーと東武動物公園のスタッフという人物たち。そういった事情を知ってか知らずか、来園者という人物たちもジプシーと優しく目を交わしたのです。『人物連鎖』の始まりです。
ジプシーは、
叱られたあとに眠るのではなく、慰められたあとに眠りました。
叩かれたあとに眠るのではなく、抱きしめられたあとに眠りました。
無視されたあとに眠るのではなく、見つめられたあとに眠りました。
怒り疲れたあとに眠るのではなく、安心しながら眠りについたのでした。
あきらめたあとに眠るのではなく、満たされながら眠っていったのでした。

出来事のあとの眠りは、その記憶をより深く刻みつけるのでしたね。ジプシーはなんてステキな出来事を心に深く刻みつけたのでしょう。ジプシーの心になんと多くの人物が訪れたことでしょう。オランウータンとは森の人のこと。森の人ジプシーは、それを食べて人物になっていきました。その彼女の仕草やたたずまいという出来事は、来園者や関係者に食べられて彼らの栄養となり、彼らをさらに人物にしていくという連鎖が始まったのでした。そこには、執着心と支配意識が生まれるようなことはなかったのです。

朝のニュースに流れてくる、生前の彼女の映像。エピソードを語る来園者。それを告げるアナウンサー。その表情がみんな柔らかい。それを見ていた私の顔もゆるむ。このニュースを見ていた多くの人の顔も、きっと柔らかくなっていったでしょう。なぜなら、ジプシーが画面に近づいてきて『どうしたの?』と目で訴えかけてくるからです。悩みをジプシーに相談していたときの女性のスマホの映像が、そのままテレビに映し出されたのです。その『どうしたの?』は、番組を見ているすべての人の目の前に近づいてきて目で訴えかけてくるのです。ボルネオオランウータンのジプシーという森の人物が、私たち人間の心に訪れた瞬間でした。

~続く~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です