スピルバーグ監督がテレビで語ったことがあります。『E.T』のカメラワークは、子どもの目の高さを意識して撮ったそうです。監督自身まだ子どもだったときに、大人は巨大に見えて怖かったそうです。
『ET』を観た人はわかるでしょうが、大人の腰の高さぐらいから見ている場面が多いんです。子どもの目線ですね。ストーリーも子どもが物事を信じる力を中心に展開していました。大人はなかなか疑り深くて、すぐには動かないんです。そこのところがハラハラするし、歯がゆくさせます。おーい、大人たちッ!と舌打ちしてしまう展開が続いて・・・。映画を観ていない人は是非ともご覧ください。
昼下がりの電車の中のことでした。
向かい側に座っている五歳ぐらいの男の子と、ふんわりと目が合いました。
その子はすぐに手もとのゲーム機に目をもどしました。
私はというと、そのまま自分の五歳の時を思い始めました。
今ごろのようにすごく寒い夜、知り合いの加藤さんの家から帰る道すがら、あまりにも北風が強いので母は自分のコートの前を開き、私を中に巻き込むように温かく招き入れました。
私はコートのおなかあたりのボタンをはずして、そこから顔だけ出し、ぜんぜん寒くなくなったのですごくうれしくなりました。
その夜に何を話したかは忘れましたが、私たち四人家族は大笑いをしながら冬の寒空の下を帰っていったのです。
その一年ぐらい前の初夏だったと思いますが、自転車屋だった私の家の前の道路で父が私を抱いてあやしている風景が浮かんできます。
大泣きをしている私には、父の笑顔がなにかニヤニヤとして、ちっとも私のことなんか分かってくれないように思えて余計に腹を立てて泣いたのです。
とにかく父の腕の中から逃れようと強くもがくのですが、父はますます笑顔になり、そのくせ腕の力は強くなっていったのを思い出します。
祖母が小学校低学年の私をながめて、よくこう言ってました。
「あんたたちが一番いいねえ」
「え?どして?」(私はよくこう聞き返していました〕
「どしてもよ。なんでもできるからね」
大人は子どもをながめていると、自分の幼少時の記憶に一足飛びにもどることがあります。私も電車の中の子どもがきっかけで五歳当時に思いを馳せました。これは誰にでもある経験です。でも、子どもの側から言いますと、自分が大人になった時を思っても具体性に欠けます。もちろんそれは当たり前のことです。未経験のことですから。
ここで皆さんに提案があります。ひとつの試みなんですが、どうでしょう今のあなたが十年先の自分へ思いを馳せてみるというのは。十年後の自分を想像するのではありません。未体験のことは想像しても具体性に欠けることは、すでにいいました。五年でも三十年でも構いません。重要なのは、その先のあなたが、ふと今の自分に思いを馳せていることを感じて欲しいのです。
話を整理しましょう。
あなたは幼いころにケガをした。
ウソもついた。
悲しいときもあった。
恥ずかしいこともあった。
今のあなたはそれを思い出し、切ないけどそのときの自分を否定はしない。
しょうがないなと笑みすら浮かべることもできるかもしれない。
いや、まだそれはできないかもしれない。
だけど今、その当時の自分を思っている。
見捨てない。
そうだったんだ。そうしてしまったんだ。
今のあなたは、当時のあなたをそう思いやる。
でも、当時のあなたは今のあなたのそんな気持ちを知らなかった。
もう、お分かりですね。
十年先のあなたが、今のあなたを思っていることを感じてください。
あなたは孤独ではない。
どんなことがあっても、あなたはあなたを見捨てない。
あなたはあなたのために、ここにいる。