これからの臨死体験 ⑴

昼ご飯を食べなかった夕方は、当然お腹が空く。
昼ご飯を食べても、夕方はやっぱりお腹が空く。
だからといって、昼食は無駄だといって食べない人に会ったことがない。

今夜寝ないと、明日の夜は眠い。
今夜寝ても、明日の夜は眠い。
だからといって、今夜の眠りは無駄だといって寝ない人に会ったことがない。

食べてもやがてはお腹が空いてくるとは、なんて見事なシステムなんだろう。おかげで、昼はソバ、夜は焼き魚定食といった違った食事ができる。
しっかり眠っても次の夜にはまた眠くなるとは、なにかこの世がユーモラスにみえてくる。ヨガの世界では、私たちは眠りのたびに死んで、目覚めるたびに生まれ直すといっている人もいる。

私の母が一度死んで生き返ったのは、1959年のことでした。いわゆる臨死体験の現場には、当時9才の私はいませんでした。あとから、母に聞いた話です。
幼少期から頑健だった母も、長年の無理がたたり子宮と卵巣の摘出手術を受けました。そのことが著しく母の体力を奪ったのでしょう、数年後に肺結核になってしまいました。しかも第3期、つまり末期ということです。

その場に父も兄も私も間に合わないほど、母の容態が急変しました。付き添っていた祖母だけがいました。
病院の廊下を走る看護婦。呼ばれて病室へ急ぐ医師。救命措置が始まる。傍でそれを見守る祖母。と、脈をとっていた医師が腕時計を見る。そして母の顔を見る。次に祖母に向かって何か告げる医師。
祖母は母にしがみつきました。
「ツヤコー、ツヤコー」
泣きながら祖母は母の体を揺すります。

その一連の動き、看護婦、医師、祖母の動きを見ていたのは、母本人でした。病室の天井よりやや高い所に母はいたそうです。
(エエッ?何故こんな所んおると?私が、死んだ?)
(ヒロカズとマモルを、残したまま死ねんのに!)
(「カアチャン、私ん体をそんな揺すったら戻れんとよ!」)
(「カアチャン?私ん声が聞こえんと?」)
母の声が聞こえたのか、祖母は母の体を揺するのをやめました。その瞬間、母は自分の肉体に戻ってきていたのでした。

私の母と、前回に紹介しましたアニータ•ムアジャーニの臨死体験には共通点がいくつかあります。それは、あとで触れることにしましょう。とにかく、母はしばらく療養したのち結核は完治して退院したのでした。

次回に兄の臨死体験について触れますが、このときは弟の私が大きく関係してきます。

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