上の空、空の下

それから十数年が経った1988年のことです。正月の二日の夜で、場所はスペイン上空でした。旅客機の中の私は、左側の窓からマドリッドの夜景を眺めていました。日本の蛍光灯の明かりと違って、ヨーロッパは白熱灯なので夜景が柔らかいんです。素敵だなと見とれていた時でした。今までに味わったことのない、ある気配を感じたんです。

自分が何かに見られているというか、見上げられているような気持ち。思わず窓から真下あたりを見ると、ゴマ粒ほどの街灯に照らされた歩道や、ヒマワリの種くらいの大きさのビルが見えるだけです。さらに目を凝らして見ると、車の流れも確認できました。でも、あとは夜の闇と光が滲んでいるだけでした。そしてその数分後に機はマドリッド空港に着陸しました。

ホテルに着いた頃には、もうすっかりその気配のことは忘れていました。早速スペインを味わおうと、同じツアーの客に誘われて隣のバルで飲み始めました。店の外で飲みたくなったので、グラス片手に軒下まで出ました。ふと見上げた夜空には、夜間飛行の機影がライトを点滅しながら浮かんでいました。その時に例の気配が戻ってきたんです。それと同時だったでしょうか、解ったんです。

あのとき機内の私を見上げていたのは、地上にいる今の私だったんだ。
いま私が見上げているのは、機内の左側の窓から真下あたりを見ている、あのときの私なのだ。
私は私と逢っている。私には、いつも私がいる。
なつかしい感覚。ああ、私は忘れていたんだ。未来の自分が思い出してくれる、今の自分。今の自分が思い出している過去の自分。
自分は自分と会っている。自分には、いつも自分がいる。

自分と自分以外の二つが、この世だと思い込んでいました。世界は、私と私以外のモノクロームだと感違いしていました。実はフルカラーだったんです。逆の例えでもでもいいです。世の中が、フルカラーのように派手に見えてしまっていた。だから忙しい。本当は、私にはいつも私がいるというモノクロームの静かな世界なのだ。
つまり、どちらの例えも成り立つほど当たり前のことです。それが解ったんです。

本当の自分

  1. 忘れていたという事に気が付いたんです。ど忘れと言った方が正しいのかもしれませんね。本当の自分をです。本来の自分をです。ある日、突然に気が付いたのではありません。徐々になんです、何年もかけて。
  2. アレ?なんか違うぞ。自分って、こうだったっけ?
    ウーン、どうも落ち着かんなあ。似た状況が前にもあったなような。
    鏡を見ているのか、鏡から見られているのか、ドギマギしながら妙に落ち着いている。
    自分はなんで自分なんだろう?アイツでもソイツでもないコイツって、ドイツなの?そうかと思えば、こんな事もありました。犬の散歩をしていた時の事です。ブロック塀に囲まれた空き地に入りました。住宅の跡地のような気配を残したそこは、膝や腰の丈の草がぼうぼうでした。犬の用を足している私の目は、ふと
    ブロック塀の一角にいきます。
    1メートルほど先のひとつのブロックを見つめます。
    私の胸の高さぐらいの塀の、一段下のそのブロックには、深緑色の苔が少しあります。数瞬という言葉があるといいのに!
    その数瞬後に思うんです。
    「O.Kなんだ」
    昼下がりなのに、もう一回夜が明けた明るさでした、まわりが。
  3. 彼女のお陰かもしれません。というのは、数日後の散歩中に再び、今度は感じたんです。「すべてO.Kだ」と。
    彼女の名前はボニー、スコッチテリア6才。横から見る彼女の顔が好きでした。孤高なる風貌をしていました。後にも先にも、「O.K」という感覚を持ったのは、この二度だけでした。二度目は、路地に面した生垣の葉をながめている時でした。