これからの臨死体験 ⑻

「とにかく、気持ちが悪くて」
兄は語り始めました。
「トイレに行こうとしてベッドから立ったのは覚えているんだけどね」
「テーブルの下に倒れたのは?」
すかさず私はききました。
「そう、その記憶がないんだ。ただ、別の記憶があってね。それがすごかった」

兄の体験はこうでした。テーブルの下に背中から倒れた時、亡くなり始めていた。もうその時点では苦しくなく、どうやらどこかへ出かけていたようで、その場所は薄暗く、遠くから水平に白い光のようなものが自分に向かって近づいてきた。ということは、トンネルのような暗がりを歩いていて、自分の方から白い光に向かっていたんだろう。しだいに光に近づいて行くと、今度はいきなり光に包まれていた。明るいけど眩しくはないその光は、液体のようで温かかった。

「でね、なんともいえないほど気持ちがいいんだ。何かが見えるわけじゃない。ただ光だけ。だけど幸せっていうか、ただただうれしくって」
兄は語りながら、まるで今それを味わっているかのように至福の顔になっていました。というより、恍惚とした表情でした。私が今でも憶えている兄の言葉を羅列してみますと、
「思考はしていなくてね、なんていうか感情と感覚だけの状態、かな」
「すべてを理解し終えた後のような安堵感だね」
「安心が喜んでいるみたい」

ところが、この辺りから兄の体験の内容が変わってきます。
「満ち満ちている自分を眺めている自分に、突然気づくんだ。エッと思った瞬間、何かが聴こえるんだよ、しかも耳元で。それがマモくんの声だったんだ」
(マモくんとは、私の呼び名)
「それが大声でね。『兄さーんッ!兄さーんッ!兄さーんッ!』って、うるさいのなんの。あんまりうるさいから、返事をして黙らせようしたんだ。その途端、今までいた安心の世界からこの身体に引き戻されたんだろうな」
惜しいことをしたとでも言うように、兄は苦笑していました。その顔が切ない表情に変わってくると、兄はゆっくりと噛みしめるように言いました。
「それからが辛かった。痛くて痛くて。ほんとに苦しかったね」

兄が倒れたあの時、私の呼び声に力なく目を開けた兄。
うつろな目を泳がせて、「目が見えない」とつぶやいた時。
兄の耳元で私は叫ぶ。
「プラーナヤーマ(ヨガの呼吸法のひとつ)をやらんと!人にヨガを教えるくせに!自分でやらんと!」
再び意識を失っていく兄。
W病院の一室で吐血を明け方まで繰り返した兄。

臨死体験中の兄と、私たちの起こしたアクションと私たちが目撃した出来事との時間軸の違いは、一体なぜ生じるのでしょう。それはもはや、謎ではありません。アニータ・ムアジャーニの1冊目の本『喜びから人生を生きる』を読んでいる最中に、私はあることを直観しました。

これからの臨死体験 ⑺

下半身だけが、抜けるようにだるくなってきたのです。これはどういうことなんだ?私はしゃがんで兄の左手を握っているから、足が疲れるはずがない。でも、すぐにそれは下腹部の重みだとわかりました。腹を全方向から押されるような、腹そのものが熱を出してたぎるような感覚。そして感覚は痛みに変わり、しかも強烈になってきたのです。
「わるいッ、代わってくれ」
中元寺に代わってもらい、私はトイレに向かいました。

W病院のトイレは和式でした。尾籠な話になりますが、強い痛みの私はそこで用を足しました。そして何となく便器を見ると、それは排せつ物というより大量の下血でした。それを見て私は声を発しました。
「よおし!」
私にはわかったのです。来たぞ。やっと来たぞ。兄じゃなくて俺に来た。
先ほどまでの私の痛みは、まったく消えています。それどころか、すっきりした気分です。私は急いで病室にもどっていきました。

ドアを開けて兄を見ると、寝息を立てて寝ています。一晩中ずっと立ちっぱなしだった坂井も、ベッドわきにすわっています。私と目が合った坂井は言いました。
「ついさっき、すうっと眠り始めました」
私はうなづきました。高橋は少しホッとしたのか、疲れを浮かべた顔で目を閉じていました。母は兄の寝顔を見続けています。まだ兄の左手を握ってくれている中元寺の肩をトントンとやって私は言いました。
「サンキュー。代わろう」

再び兄の左手を握った私は、自分は興奮しているとばっかり思っていたのに正反対に静かなのを知りました。安心というのか、充実というのか、穏やかというのか。おかげで私は4人に、トイレでの一部始終を静かに語ることができました。母も坂井も高橋も中元寺も、誰ひとりとしていぶかしそうな顔をしません。それどころか、兄が吐血しなくなったタイミングと私のトイレの一件がぴったり合ったことに感心していました。

私たちから連絡を受けた医師がほどなくしてやって来ました。静かに寝入っている兄をひと通り診た医師は、けげんなそうな顔をしながら自分自身につぶやくように言いました。
「安定してるので、このまま様子をみましょう」
母の会釈にこたえながら医師は病室を出で行きました。

その日の昼前、兄は目を覚ますとその疲れた顔で病室内を見まわしました。そして私たち一人ひとりを見たあと、こう言ったのです。
「ここはどこ?」
この定番のコメントに、つんのめるやら呆れるやらホッとするやらで、みんな苦笑したのを憶えています。

すぐに退院を主張する兄に医師は当惑しながらも、ある提案をしてきました。とにかく、このまま帰すわけにはいかない。なぜなら、深夜の状態からして今の状況はありえないし体力の消耗も激しい。よって、精密検査をしたい。もちろん、こちらからの提案だからその間の入院費はいらない。それに対して余裕の私たちは、医師を気の毒に思い彼の願いをきき入れました。

結果、たび重なる吐血による貧血は認められるものの、どこからの出血なのか、なぜ出血したのかは判明できませんでした。4日後、死から生還した兄は私たち5人、母、坂井、高橋、中元寺、そして私がイメージしたとおり、日中の日差しを受けながらW病院の玄関を退院していったのでした。

帰宅した兄は自分の体験を私たちに語り始めました。それは、まぎれもなく臨死体験でした。

これからの臨死体験 ⑹

くやしさはひとつの事だけでした。この4日間の兄の疲労に、私が気づかなかった事です。飲まず食わずだけでも大変なのに、兄は何かに集中すると眠らなくなる。場合によっては、トイレに行くのも忘れてしまう。独身の兄とは私は別所帯で、その兄も30歳を過ぎていたのでまさかと油断したのがいけなかった。いや、今は悔やんでいる場合じゃない、兄が回復していくイメージに集中だと気を取り直そうとした時でした。

「代わろう」
中元寺が声をかけてきました。私が兄の左手を握って30分がたっていたのです。交代してもらった私は、あらためて兄を見ました。吐血を繰り返しています。その兄の口を坂井がぬぐう。その様子を涙を流しながら合掌して見ている母。高橋は壁の一点を思いつめた顔で見つめている。中元寺はしゃがみ込んで、左手で兄の左手を握っている。兄はまた吐血しました。私の思いが弱いのだろうか。私は、ひとり病室を出ました。そして、階段を降りて一階の玄関に向かいました。その玄関を兄が笑顔で出て行く光景を、私の眼にもっと強烈に焼きつけるためでした。

私は、玄関の四方八方を見つめたあと天井を見上げました。というより、天井をにらんでいたと思います。天井の上の、さらにその上の屋根にさす太陽。真っ昼間に兄が病院から出てくる。そのイメージをしっかり胸に刻んだ事を確認すると、私は病室に向かいました。それにしても腹が立つ。階段を上りながら、私は許せなくなってきました。
「一体、なんや!」
言葉が口をついて出ました。
「どういう事か?なんを言いたいとや?」

兄は、死線をさまよう経験を何度もしています。私が生まれる前にも、肋膜炎で危なくなり、世界初の抗生物質ペニシリンで助かっている。そのせいなのか元々なのか、兄は虚弱でした。10歳位まではよく鼻血を出していて、それがなかなか止まらない。多い時は週2回ほどで、しかもどうしてなのか朝が多く、首の後ろを冷やす氷を買いに私は走りました。中学の時も、貧血でしばしば倒れていました。兄は九州から上京してまもなく、22歳の時に交通事故に遭い全治2年の大けがをしています。その治療のための2度の手術と、計36本の輸血による肝炎。

丈夫な弟の私ではなく、いつだって重大な事に遭うのは兄。母に負けず劣らず信心深い兄なのに。そういう兄を守ってくれてもいいはずだ。神か仏か知らんが、誰に何をわからせたいのか。何かのパズルのつもりなのか。だったら、俺に来い。この頑丈な俺に示してくれ。

病室の兄の左手を握りしめながら、私は祈っていたのか怒っていたのか。坂井は、吐血する兄につきっきりなので、高橋、中元寺、そして母と、交代をしながら兄の左手を握りました。それを繰り返して、何度目かの私の番がきた時でした。午前6時を過ぎていたと記憶しています。私は、妙な感覚におそわれたのです。

これからの臨死体験 ⑸

病室に入った母は兄の一部始終を見て取るとすぐに坂井にかわり、吐血で汚れた兄の口をぬぐいました。そのあと母は私を病室の外へ連れ出し、廊下の長椅子にすわると私をじっと見てこう言うのです。
「今度だけは、いかんね。なんにもお答えがないとよ」
「エッ」
「お釈迦様もお稲荷様も答えてくれなさらん」
並はずれて信心深い母は、祈ることが支えでした。私も幼いときに何度か救われたのは、母の祈りでした。その母が駄目だと言うのです。

私は、病院の廊下で泣きました。嗚咽したと思います。医者も残念と言い、母も駄目だと言うのです。私は知ってたはずなのに。幼少期から体が弱かった兄。学校でよく倒れていた兄。だから人一倍健康を気にしていた兄。そのくせ、ケタ違いの集中力で物事に取り組み過ぎてしまう。飲食を忘れ、徹夜をして体をこわす兄。その兄が4日も製作に没頭していた。どうして兄を休ませなかったんだ。迂闊なことをしてしまった。その全部の思いが押し寄せてきていました。

ところが、泣いたからでしょうか、私は不思議なくらいに頭がすっきりしてきたのです。なにか切り変わったような感じでした。よーしと、私は病室にもどりました。兄は吐血を繰り返していました。私は言いました。
「みんな、聞いてくれ」
3人は私を見ました。
「一人30分交代で、兄貴の左手を握ってくれ。その時、兄貴が元気な顔でこの病院を退院していく姿をイメージしてくれ」
坂井も高橋も中元寺も、私の突然の発言にとまどっているようでした。
「今、説明しているひまはない。とにかく、下の玄関から兄貴がニコニコして出ていくところをイメージしてくれ。分からんかったら、下に降りて玄関の映像を刻み込んでくれ。イメージが薄れたら、何回も玄関を見に行けばいいから」

最初に私が兄の左手を左手で握りました。私は目をつむり、私たちの脱ぎっぱなしの靴で散らかった玄関を思い出しました。夜中ではなく、昼の玄関を思い描きました。そこを兄が笑顔で出ていくのです。私はそれほど苦労せずにイメージできました。我ながら鬼気迫るものがあったのだと思います。実はその時、くやしさと、ある事にどうしようもないほど腹が立ってきていたからなのです。

これからの臨死体験 ⑷

救急車がW病院に着くとすぐに、意識不明の兄は救急口から入り、私たちは一般口というか玄関から入りました。あとでわかる事になるのですが、この二つの入り口は、兄の体験したストーリーと私たち4人が体験したことの違いを象徴しているかのようでした。待合室の電話をとり、私は母に事の経緯をかいつまんで話しました。
「迎えに行けないから、タクシーで来て」

ほどなく、私たち4人は2階の個室の病室に案内されました。すでに兄はベッドに寝かされており、一目見て予断を許さない容体だとわかりました。呼吸が弱いのです。普段は肺活量が6500cc超もある兄なのに、胸の動きがまるでないに等しいのです。この状況をどう受け止めたらいいのか、私たち4人は身も心も硬直していたように思います。
この4人が文字どおり、兄のベッドを囲んで立っていました。

その時でした。兄がベッドから身を起こしそうにしたのです。それも、何かバネ仕掛けのように。すかさずマネージャーの坂井が兄の背中に手を添えて起こすと、兄は吐きそうにします。容器をあてがうと、それへ兄は吐血しました。鮮血ではなく、粘りのある赤黒いものでした。スタッフの高橋は、見るのもつらそうに目をそむけていました。そして兄は気を失ったかのようにベッドに倒れ込むのです。これを数分おきに繰り返すのです。

医師は私を部屋の脇へ促しました。兄の吐瀉物を持参した私を医学生とでも感違いしていたのか、彼はこう述べました。
「血圧が27しかない。なにかブランデーでも好きな物をやって下さい」
「エッ?ブランデーで治るんですか?」
「いや、酒、かなり好きなんでしょう?残念ですが、もう」
「ちょっと待って下さい、兄は酒は一滴もやりません!」
何を言ってる、この医者は、と私は思いました。どうしたらいいんだ、これは。そんな時、母が到着しました。