人物連鎖 ❼

私たちは一体どのような被害を受けたのでしょうか。しかもそれは、いつ、どこで受けたものなのか。
ここで被害という言葉を使う以上は、被害妄想にならないように気をつけなければなりません。「誰かのせい!」とか「何かのしわざだ!」とかの、あら探しをしている訳ではないからです。あくまで事件•事故をなくす方法を探し当てるための精査なのです。続けます。
● いつ
胎児・乳児・幼児期を通して。
● どこで
世間(その当時の社会)
● どのような
時間の前倒し

この「時間の前倒し」は、ほとんどの人にとって理解しにくいと思います。なぜなら「時間の前倒し」を幼少時にされると「時間の前倒し」に気づかない大人になるからです。
前回、お互いに注意深くなりましょうと念を押した理由はここにあります。

それでは「時間の前倒し」とはどのような被害なのか、ルソー(フランスの作家。18世紀生まれ)の語りを聞いてみましょう。
「家庭教師をしていた私は、しばしば戸惑いを感じた。その子はまだ砂遊びをしていたい年齢なのに、親たちは幼年学校の入学準備の教育を私に頼んだ。幼年学校に入ったら入ったで、今度は陸軍士官学校に受かるようによろしく頼むとくる。ようやく入学。その子は学校生活を楽しもうとしていたが、親たちは許さなかった」
ルソーのつぶやきは続きます。
「親たちは私に要求するのだ。『この子をただの将校で終わらせたくない。将軍を目指せるようにしてやってくれ』と。一体、その子のその時はどこにあるのだ。いつ、その子だけの時間がやってくるというのか」

こうやって子どもたちは、立派な「時間の前倒し大人」に成長します。先輩の大人たちの声が聞こえてきそうです。
「どうだ?前もって準備していて良かっただろう。ようこそ世間へ」
時間の前倒しをされた人間は、次の世代の時間をもっと奪うようになっていきます。食物連鎖のところで述べた、海洋汚染のメカニズムとそっくりです。汚染された生命は次世代にもっと濃い汚染をリレーするのです。

これは決して極端な例ではありません。みんな何かの準備に追われています。塾、予備校、就活、婚活、終活。
「備えあれば憂いなし」「転ばぬ先の杖」
保険でいえば、学資、傷害、盗難、火災、生命、ガン、介護。そして私たちは準備の極め付けにたどり着きます。軍備。その軍備に備えて相手も軍備。

備えることが悪いのではありません。場合によっては準備も必要です。そうやって人類は知恵を絞って今日まできました。イソップの「アリとキリギリス」もそこを言いたかったのでしょう。この寓話が古代ギリシャから現在まで語り継がれているのは、そうすることが当たり前だったからです。まだ起きていない出来事に今のうちに備えておくのは、当たり前。当然。常識。普通。そして古代ギリシャから21世紀の今まで、事件•事故は起き続けています。それどころか、増えています。

世界中の大人たちは、世間という社会に仲間入りするかわりに最も大切なものを失います。味覚を失うのです。出来事と人物という、人間にとって一番大事な食べ物を味うことができなくなるのです。
これが【逆恨み】を生むメカニズムなのです。それが【あおり運転】【進路妨害】につながっていきました。

高速道路の事件の容疑者は、本当の人物を見損ないました。自分の間違いを指摘してくれている人こそ自分の味方だったのに、その人物を被害者にしてしまいました。昔の彼は容疑者ではなく、なんの罪もない赤ちゃんでしたのに。

~続く~

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