これからの臨死体験 ⑶

正確に言えば、私を含む3人はすでに玄関の外に出ていました。靴を履こうとしていたもう一人のメンバーが、兄の苦しそうな声に気づいたのです。4人が急いで部屋に戻ってみると、兄は顔をゆがめてベッドから立ち上がろうとしていました。
「どうしたの?」
「気持ちが悪い。トイレ」
「無理せず、そこで吐けばいい」
と、私は兄を制止し、流しにあったガラスの小鉢を渡しました。兄はそれに何か赤黒いものをもどしました。そして横になりました。

ところが、1分もしないうちに兄は「やっぱりトイレに」と起き上がったのです。今度は制止も聞かず、数歩あるいたところでテーブルの下に仰向けに倒れ込みました。私はすぐ抱きかかえたのですが、兄の応答がないのです。顔も先ほどと違って、表情がありません。これはいかんぞと思った私は、兄の顔に向かって声をあげました。
「兄さーんッ!」
後頭部を床で強打したぞ、ただ事じゃないぞと兄を呼び続けました。
「兄さーんッ!兄さーんッ!」

何度も叫んでいると、兄が反応してくれました。力なくですが、眼を開いたのです。そして、その焦点の合わない眼を空中に泳がしながら、不安げにこう声を漏らしたのです。
「眼が見えない」
私は反射的に兄に強く言いました。
「プラーナヤーマをやらんと!」
「・・・・」
「人にヨガを教えるくせに!自分でやらんとッ」
「・・・・」
兄は苦しそうな顔をしたあと再び無反応になりました。意識がなくなってきたのがわかりました。私たちは救急車を呼びました。時刻は深夜の0時を過ぎていたと記憶しています。

私は、兄を乗せたストレッチャーと一緒に救急車に乗り込みました。念のため、兄の吐瀉物の入ったガラスの小鉢をラップして持ち込みました。残りのメンバー3人は、楽器運搬車で追ってきています。車2台に分乗したとはいえ、兄を除く4人のこの時の行動はひとつ、兄の安否を気づかってのものでした。ただ、当の兄はどうだったかというと、まったくの別行動をとっていました。兄には、私たちとは別のストーリーが展開していたのです。そうなんです。臨死体験が始まっていたんです。

これからの臨死体験 ⑵

母の臨死体験から約20年後のことです。3歳上の兄は32になっていました。その夜は、バンドのメンバーとスタッフが兄の家に集まっていました。製作中のアンプができたと兄が集合をかけたのです。私たちの音楽活動は作詞作曲はもちろんのこと、演奏も自作の音響機器を使うというユニークなものでした。その器材の開発者が兄だったのです。

「まるまる4日かかった」と兄は疲れたようにつぶやき、試作アンプのスイッチを入れました。兄の「まるまる」は、飲まず食わず眠らずということです。弟の私にはわかりました。さて、そのアンプに楽器のコードを差し込み、いざ音を出そうとするのですが反応がまったくありません。4人が見守る中、兄は一旦スイッチを切るとアンプのカバーを開けて回路の接続のチェックをしました。そして再度スイッチをいれて音出しを試していた時、その間20秒ぐらいはあったでしょうか、なんとアンプから煙が出始めたのです。慌てて誰かが電源を切りました。

何かの原因で発熱したのでしょう。くすぶっているアンプを見下ろしながら兄は言いました。絞り出している声でした。
「だめだ。失敗だ」
ガックリきている兄に、みんなもかける言葉もありませんでした。でもそこは弟、気休めの言葉でもいいやと言いました。
「またやり直せばいいよ。とにかく、飯でも食いに行こう」
「僕はいい。食べたくない」
「食べてないんでしょ?行こうよ。九州ラーメンはどう?」
「食欲がない。構わないから行って」

結局、兄を残して4人で食事に行こうとしていた正にその時、兄は昏倒したのでした。

これからの臨死体験 ⑴

昼ご飯を食べなかった夕方は、当然お腹が空く。
昼ご飯を食べても、夕方はやっぱりお腹が空く。
だからといって、昼食は無駄だといって食べない人に会ったことがない。

今夜寝ないと、明日の夜は眠い。
今夜寝ても、明日の夜は眠い。
だからといって、今夜の眠りは無駄だといって寝ない人に会ったことがない。

食べてもやがてはお腹が空いてくるとは、なんて見事なシステムなんだろう。おかげで、昼はソバ、夜は焼き魚定食といった違った食事ができる。
しっかり眠っても次の夜にはまた眠くなるとは、なにかこの世がユーモラスにみえてくる。ヨガの世界では、私たちは眠りのたびに死んで、目覚めるたびに生まれ直すといっている人もいる。

私の母が一度死んで生き返ったのは、1959年のことでした。いわゆる臨死体験の現場には、当時9才の私はいませんでした。あとから、母に聞いた話です。
幼少期から頑健だった母も、長年の無理がたたり子宮と卵巣の摘出手術を受けました。そのことが著しく母の体力を奪ったのでしょう、数年後に肺結核になってしまいました。しかも第3期、つまり末期ということです。

その場に父も兄も私も間に合わないほど、母の容態が急変しました。付き添っていた祖母だけがいました。
病院の廊下を走る看護婦。呼ばれて病室へ急ぐ医師。救命措置が始まる。傍でそれを見守る祖母。と、脈をとっていた医師が腕時計を見る。そして母の顔を見る。次に祖母に向かって何か告げる医師。
祖母は母にしがみつきました。
「ツヤコー、ツヤコー」
泣きながら祖母は母の体を揺すります。

その一連の動き、看護婦、医師、祖母の動きを見ていたのは、母本人でした。病室の天井よりやや高い所に母はいたそうです。
(エエッ?何故こんな所んおると?私が、死んだ?)
(ヒロカズとマモルを、残したまま死ねんのに!)
(「カアチャン、私ん体をそんな揺すったら戻れんとよ!」)
(「カアチャン?私ん声が聞こえんと?」)
母の声が聞こえたのか、祖母は母の体を揺するのをやめました。その瞬間、母は自分の肉体に戻ってきていたのでした。

私の母と、前回に紹介しましたアニータ•ムアジャーニの臨死体験には共通点がいくつかあります。それは、あとで触れることにしましょう。とにかく、母はしばらく療養したのち結核は完治して退院したのでした。

次回に兄の臨死体験について触れますが、このときは弟の私が大きく関係してきます。

ブックレビュー(3)

悩んでいない人、元気な人、健康な人。悩んでいる人、疲れている人、病気の人。
そんな人に是非とも読んでいただき本が、二冊あります。
『喜びから人生を生きる!』
『もしここが天国だったら?』
いずれも著者は、アニータ•ムアジャーニ。
出版社は、ナチュラルスプリット。

今後、臨死体験をする人が増えていくでしょう。私はそう思うのです。
なぜそうなのかの、私の話をする前に上記の二冊を読んでいただきたいです。

人物連鎖 最終回

事件•事故が起きるのを防いだり減らすことが、私たちにできるのか。さらには、なくすことができるのか。その話を11回にわたって進めてきました。そして最終回の今、いよいよ私たちは、どのような人物がそれを実現するのかを見ていくことになります。大人物でもなく歴史的人物でもなく中心的人物でもない、当たり前のことをする人。その人と、その人が起こす出来事は『人物連鎖』をしていきます。

連載第1回目に取り上げました【通り魔事件】【襲う】【苦しむ顔】の3つは、川崎市の事件のキーワードでした。こういった凶悪事件のメカニズムを研究している人がアメリカにいます。カリフォルニア大学の神経学者ジェイムズ•ファロン氏です。彼の研究によると、殺人を犯す傾向にある人の脳にはいくつかの共通点があるようです。それは、遺伝子の中の危険因子(狂暴性や自己陶酔性)が一般の人に比べて、犯罪者の方が多いというデータです。扁桃体・側頭葉前部・海馬などなど、脳の各パーツの形が一般人とは違っているといいます。
ところが、多くのサンプルで確証を得たファロン氏の研究は、ここで思わぬ展開をしていくのです。

以前、何かの折に撮影していたファロン氏自身の脳の写真が、犯罪者の脳写真サンプルに紛れ込んだことがありました。そうとは知らない彼は、自身の脳写真を見て、典型的な殺人犯の脳だと断定します。あとで事実がわかり驚きました。
「私は罪を犯したことがない」
しかし、彼は学者です。冷静に事実を分析し、さらに調査しました。そして洞察しました。その上で、はっきりしたこと。
「私、ジェイムズ•ファロンには幼少期の虐待経験がなかった」
「しかし、犯罪者には幼少期に虐待経験があった」

このリポートは私に、20年ほど前に見た「NHK特集」を思い出させます。そこでは、アメリカの犯罪者更生プログラムを取材していました。罪を犯した男女の服役囚10人ほどが、強制ではなく本人の意思で1週間の更生ワークショップに参加したものでした。
参加者が輪を作ってイスに座り、それぞれが聞き役になったり話し手になったりして幼少期の記憶をたどるのです。その中のひとり、20代後半の男性受刑者はレイプ犯でした。彼は輪になってイスに座ってはいるものの、不満顔でワークには加わってきませんでした。ワーク2日目あたりに彼は、ただでさえ線の細い顔をさらに神経質な表情にして、こう文句を言ったのでした。
「こんなことをやって何になる!止めちまえ!」
それでもグループワークを続けていると、ようやく彼は少しずつ心を開いてきました。やがて彼は思い出したのでしょう、泣きながら語り始めたのです。聞き手だった他のメンバーもそれを聞いて更に語り出しました。
そこでわかったことの中で主なものは、以下のことでした。
• 犯罪者の多くは、幼少期に肉体的、精神的に悲惨な体験をしている。
• 犯罪の内容が、幼少期に本人が受けた体験に重なることが多い。
(例として、レイプ犯の彼は、3歳ぐらいの時に叔父から性的イタズラを受けていた)

ファロン氏の研究成果と、更生プログラムの結果は一致を見ました。

ところがです。別の調査で、ある不思議な結果が出てきたのです。たび重なる虐待などの悲惨な体験を幼少期にしているのにもかかわらず、犯罪者になっていない人が数多くいることがわかったのです。この結果に研究者たちは戸惑いを感じました。しかし、さらに調査していくと、犯罪者とそうでない人との間に大きな違いがあることがわかってきました。
その違いは、大きいけどたったのひとつだけ。
・悲惨な体験をしていても、その人のことを理解してくれる人物が「一人」いただけで、その人は犯罪者になっていない。
・一方、罪を犯してしまった人の場合、その人のことに理解を示してくれる人物の存在は「ゼロ」でした。

私たちには、自分のことをわかってくれる人が必要だということです。自分のことを理解してくれる人が多いに越したことはありませんが、たった一人でも十分だということです。だからでしょう、私たちはそのたった一人を友に求め、異性にパートナーに求め、師に求め教え子に求めるのは。そして、親に求め、子に求め、家族に求めるのは。

それを孫に求める人がいます。もちろん、祖父母です。中でも、車を運転する機会が多いのはおじいちゃん、世に言う【高齢ドライバー】の人たちです。連載第1回目にも取り上げた高齢ドライバーによる事故は、その後も増え続けて社会問題にまでなっています。その対策のひとつに、運転免許証の自主返納を促すというのがありますが、なかなか難しいようです。家族がいくら説得しても
「自分はまだ若い。自分には車が必要だ。【自分は違う】」
と言って聞く耳を持たない【高齢ドライバー】が多いのが実態といいます。
ところが、そのおじいちゃんも孫のお願いには素直になり免許証を返納するそうです。

なぜなのでしょうか?実はこれこそが、人間関係のあり方を私たちに見せてくれていると思うのです。相手を理解する•相手に理解される、相手をわかる•相手がわかってくれる。それには、相手も自分も好意がなければ始まりません。孫は無条件に可愛いといいます。無条件とは、理屈抜きのこと。理屈とは、先入観のこと。可愛いとは、好意を持つこと。つまり、先入観なしに好意を持ってしまうということです。なぜなら、孫と祖父母のつき合いは家族の中で一番短いからです。つき合いが長いのは良いことですが、先入観も生まれやすいのが特徴です。私たちも生まれてきて少々時間が経っています。世間とのつき合いも長くなっているので、いろいろな先入観を持っているかもしれません。

さて、私たちは今日もそういう世間の中にいます。これからも、世間の道や街で人とすれ違い、電車やバスの中で人と乗り合わせ、出かけた先で人と目が合ったりするのでしょう。そのとき、悲しそうな目をした子どもがいたら声をかけてやってください。声をかけることができなかったら、好意を持ってその子を見ませんか。その子の親も辛そうなら、何かしてあげることを探すのもいいのでは。席をゆずる、荷物を持ってあげる、ほほ笑む。ただし、子どもに比べ、世間とのつき合いが長い人ほど先入観を多く持っているかもしれません。その人を緊張させないような工夫が必要です。あくまでも好意をわかってもらう範囲でということです。

下校中の小学低学年の女の子が、バスを降りるとき運転手に向かって「ありがとうございました」と挨拶しました。「気をつけてね」と運転手。私を含む乗客はそれを静かに聞いていました。バスはドアを閉めて走り出しました。エンジンの音も心なしか静かでした。その静かな車内に柔らかくて優しい何かが漂っていました。おそらくそれは、ミネラルの一種なのでしょう。すべての命の中にいるミネラルを感じたひとときでした。

ここまで読んで、次のような感想を持った人もいるかもしれません。なんと悠長な。ロマンチック過ぎないか?メルヘンだな。そこで『人物連鎖』最終回だからこそ、事件•事故が発生するメカニズムの謎を解きます。
その謎とは「急ぐ」です。
自分の強さを存在を、急いで示そうとする【進路妨害】【逆恨み】【あおり運転】
自分の弱さを見たくないあまり、いつも慌てて隠そうとする【制止しない】
自分の欲望をじっくり観察せず、すぐに遂げようとする【通り魔】【襲う】【苦しむ顔】
自分の実情の変化をはしょって、認めようとしない【高齢ドライバー】【自分は違う】

最後に。
言葉とはミネラルかなと思うことがあります。ミネラルが音になったのが声。肉眼で見える形になったのが文字、手話。触れる点字。世界の言葉、中でも日本語はかなりミネラルっぽい言語です。前回の文末で私は、『人物連鎖』の鎖を作るのにはひとつひとつの輪が、どのように開かれるのでしょうと書きました。実はそのヒントは、ミネラル日本語が示唆してくれています。言葉というか言霊というか、その響きも形も染み渡っています。
輪→○→和→我→話

~終了~