カルシウムとエゴ

小学四年生だった時の私のある日です。
「カルシウム注射は、熱くなるからね〜」
看護婦さんは注射器を右手に持ち、私にそう話しかけました。
そのとおり、打っている左腕だけじゃなく全身がカァーっと熱くなったんです。サバにあたって蕁麻疹(じんましん)になった初体験よりも、初耳の【カルシウム】という言葉と【熱くなる】という実感の方が強烈な思い出となった日です。

穏やかな性質の犬を使った実験があります。その犬のカルシウムを抜いていくんです。そうするとどうでしょう。優しかった犬の顔が、鼻にシワを寄せるなど険しい表情になっていき、うなり声をあげるようになるのだそうです。さらにカルシウムを抜いていくと、その犬は痙攣を起こして死亡したと報告されています。これは一体どういうことなのでしょう。

ある高校の調査報告があります。窓ガラスを割ったり、先生に暴力で歯向かったりする生徒たちが1日に飲む清涼飲料水の数のことです。少なくとも6本、中には20本を毎日のように飲んでいる生徒がいるというのです。日本人の1日あたりの糖分の適量は20~25gと聞いています。清涼飲料水1本に入っている糖分は平均20gといわれているので、プラス5~19本を飲む生徒の体内に入った糖たちは、これまた一体どうなるのでしょう?

ここからのメカニズムは興味深いものがあります。♪行きは良い良い、帰りは怖い♪という展開をしていきます。まずは、良い方。
●適量を超えた糖分は、尿や汗や便として排出されます。全部ではありませんが。
次に、怖い方。
●余分な糖分が排出されるとき、カルシウムを道づれにしてしまう。カルシウムの減少。
だから甘い物を食べ過ぎると、虫歯になりやすく骨が弱くなるのです。やっかいな事に、このメカニズムはここで終わらないんです。

カルシウムが減ると、穏やかだった犬が凶暴になると先に書きました。人間の場合はどうでしょう。凶暴はあまりにも極端だとしても、短気にはなる可能性は高いでしょう。それに伴い、集中力が低下し気分が散漫になってきます。そして、気持ちが落ち着かなくなってくると、人は必ずといっていいほど落ち着こうとします。手っ取り早く気分を良くしようとして、糖類を摂るんです。たとえば、清涼飲料水、お菓子、酒です。

インスリンとアドレナリンのシーソーゲームの開幕です。でも、この話は複雑になるので避けます。一つだけ触れておきたいのは、糖はよく燃えるということです。【火】ですね。エゴの原形の再デビューです。となると、カルシウムは?
次回へ続きます。

続、エゴの回収

風葬は、曝葬とか空葬ともいわれるように遺体を樹上や山林•平地にさらしておく葬法です。そういう意味では林葬も鳥葬も、その具体的な言いまわしだと思います。そしてここでも、バクテリアを始めとする多種多様な生物の食物連鎖のドラマが展開していきます。捕食されて消化吸収されるという【時間】。そしてその生物のエネルギーとなるカロリーという【火】。エゴの回収は続きます。

風葬の場所が砂漠ということも当然あります。砂漠の圧倒的な乾燥は、あらゆる生き物にとって過酷な環境です。腐敗すらしない状況です。いうまでもなく、そこでの食物連鎖は限られてくることになるでしょう。では、どうやって風葬というものが成り立っていくのか?ひとつ造語をしてみますね。乾葬という言葉です。

遺体は今や、徹底的な乾燥によってバクテリアも死滅し、したがって腐敗もしないし、それを捕食する生物もいない世界にあります。何がそうさせるのでしょう。天日、太陽です。地球のマグマを極限にまで高温にしたもの、それが太陽です。太陽こそが根元の【火】でもあるのです。そこへ砂嵐の風と砂が、まるで砂時計のように【時間】をかけて衣服も体も削っていく。やがて遺体は、カルシウムだけになっていきます。

天文学者ジョージ•プレストンは、映画『光のノスタルジア』でこう語っています。
「講演でいつも話すんです。骨のカルシウムがどのように作られたか。私たちの起源の物語を。私の骨のカルシウムはビッグバン直後に作られた。すべての原子はそこに。自然の中に住むように、我々は星の中に住む宇宙の一部なのです」
最近では、星の探索をするときにカルシウムの波長を応用する方法もあるようです。

カルシウムとエゴの関係性を次回に翻訳します。

エゴの回収

人間の脳。その同居人、エゴ。ある日エゴが同居をやめて、その人から離れるときがやってきます。死です。脳が停止するのですから、エゴは同居を続けることができなくなるのです。そこでエゴは元いた場所である【時間】に戻ります。そしてエゴの本来の姿としての【火】に還るわけです。

人が亡くなったとき、私たちは荼毘に付します。いわゆる火葬ですね。世界では、土葬や水葬、風葬、さらには林葬や鳥葬という風習もあります。火葬は文字どおり火を使いますから、エゴは本来の姿へとそのまま帰還していきます。ならば、他の葬儀でのエゴの帰還の様子はどうなのでしょう。

実は土葬も水葬も風葬も林葬も鳥葬も、すべてにおいてエゴは【時間】と【火】に回収されていきます。その様子を翻訳しながら述べてみましょう。
火葬に比べて他の葬の儀は、ゆっくりという時間を必要としていることがわかります。遺体は埋葬された後、長い【時間】をかけて土に還っていきます。土にはバクテリアがいて、生態系の物質循環の役割を果たしています。つまり、遺体はバクテリアのエネルギーになるんです。カロリーという熱還元【火】ですね。そうやって土に同化してやがては『土になる』のです。

水葬はどうなのでしょう。「海の藻屑となる」という表現があるように、海にはバクテリアよりも大きい生物が多種類にわたって棲息しています。その生き物たちの食物連鎖の出発点に、水葬にされた遺体があると思ってください。あとは連鎖していく捕食のストーリーを想像してみてください。そこには、食べて食べられるという【時間】があります。そのときに、消化されて栄養という【火】になるのです。

風葬はどうなのでしょうね。その続きは次回にしましょう。

純粋時間

核爆発とは、原子核分裂のことです。原子爆弾や水素爆弾が炸裂することです。一瞬よりも短い時間、瞬間たちを掻き集めて互いに衝突させて「あとは知らん」の無責任の極致のことです。薄い時間、淡い時間など何のその、濃厚な時間が世界を覆い始めます。生命は全て、それぞれ〈違った日〉に誕生し淡い時間を過ごしていくはずです。それが自然なのに、核爆発は全ての生命を〈同じ日〉どころか、〈同時〉に失わせます。

その悲惨さを表すのには、このスペースでは足りないので他の書物に譲ります。ここでは、時間の仕組みについて精査していくことにします。一気に多くの生命を奪い、一度に広い場所を壊してしまう行為とは、そもそも何が原因になっているのでしょうか?私はそれはエゴだと言いました。そのエゴは、ヒトと出会う前は【時間】の中にいて、もともとは【火】だったとも言いました。

人間の脳の同居人になったエゴにとって、濃い時間こそが『便利』なのです。【火】の極致の核兵器、【時間】を一気に使う核爆発。相手を怖がらせることで、自分の要求を迫ることが可能になったと錯覚させる『便利』なもの、武器。既出のリズ•ブルボーの定義、〈エゴイスト〉とは、他の人に対し、その人のニーズよりも、まず自分のニーズを満たしてくれと要求する人。

さて、濃い時間はその後どうなるのでしょう?さらに濃くなって粘度が増して、濃い時間そのものの身動きが取れなくなります。そうして世界は硬直していきます。つまり人も景色も、表情がなくなります。ただし、ここから少しずつですけど様子が違ってきます。本来は淡い時間たったものを、人間のエゴで濃くさせられた時間ですから、時間そのものが人間にニーズを迫り始めます。本来の時間、淡い時間に戻せと。その、時間そのものを【純粋時間】と私は名付けます。 ~次回へ~

食物とエゴ

ヒトの食べる物はいくつあるのでしょうか?太古の昔、樹上生活をしていたヒトの先祖が食べた物は想像がつきます。その樹木の葉、実、芽、皮、昆虫、小動物などでしょうね。彼らが地上に降りてきてからは、食べる物の種類は飛躍的に増えたことは知られています。二足歩行は手を自由に使えるようにしましたが、直立した身体の真上に脳を置くことができたことも見逃せません。まるで脳の増大を誘うような位置だからです。これで仮に脳が重くなったとしても、十分に支えられるようになりました。そして実際そうなったのですが。なぜなら、手の動きこそは脳と直結しているからなんです。この時から手と脳は、お互いに刺激し合いながら発達の道を歩いていくことになります。

とる→採る•捕る•摂るなど、手偏の付く漢字は、食物を手に入れる様子を具体的に表わしています。
①木の芽を採取するとは、指先で摘みとること。
②獣や魚を捕獲するとは、罠や網や釣り針などの道具を使うこと。
③栄養を摂取とは、栄養物を体内に取り入れること。
ヒトは他の生物に比べて、栄養を取る方法も量も質も抜きん出ています。なにしろヒトは10本の指を器用に使い、その動きこそが脳を刺激し発達させ、それでカサが増した脳は肉体の真上にあるので十分に支えられながら、10本の指に新しい指使いを迫るという、ノンストップのストーリーがここに始まるわけです。

ここで、私見を述べます。エゴの誕生の瞬間を翻訳してみます。サル目ヒト科の動物の現存種はホモ•サピエンスのただ1種。人類にエゴは付きものですが、私は先にエゴは人間の脳の同居人と言いました。では、同居する前のエゴは❶どこにいて、いったい❷何者だったのでしょうか?
❶エゴは、時間の中にいた。
❷エゴは、火だった。
もう一度念を押しておきますね。エゴは悪いものではありません。生物は、生きようとするのが自然ですし、大自然には生きるか死ぬかの場面も多いのです。生物の最期は、他の生物から捕食されること以上に、餓死という結末がほとんどです。植物の終焉も、水分や太陽光や適温の不足という、エネルギー飢餓からやってきます。

さて、いつの時代からか人間には問題が生じ出したのです。その問題が
①気温の場合
寒い!→暖を取る。暑い!→涼しくする。
②食べ物の場合
固い!→柔らかくする。大き過ぎる!→細かくする。腐る!→保存する。
③身の安全の場合
危険(他の生物から襲われる、夜と暗闇)‼︎→炎の明かり。
以上の場面をちょっと想像してみて下さい。現代の私たちから見ると、これらの問題に対応するのに必要なのは、道具だとイメージできます。その道具の中のトップは、何といっても火でしょうね。

人間以外は火を扱えません。それどころか他の生物は、火を怖がります。ヒトも始めの頃は火を恐れていたのでしょうが、どういった経緯からか文字通り、火を手中に収めました。落雷で発火した木を見つめているヒト。赤黒く流れる溶岩を眺めているヒト。太古の地球のどこかで誰かが火を手にしました。脳がその手に指示したのか、火を手にして脳に意識をさせたのか。まさにその時、ヒトは人間になり、火はエゴになりました。

さあ、これで日が暮れても炎の明かりがある。これまでよりも暗闇がやって来るのを遅くできる。時間の発生です。
やがて人間は、加熱という調理を会得します。焼く、あぶる、煮る、炒める、蒸す。食材の広がりを実現し、他の生物よりも寿命を延ばし始めます。時間の延長です。
夜の冷え込み、冬の寒さを火で暖をとる。苦痛の時を減らす。時間の短縮です。

太陽が昇れば朝、そのあとしばらくは昼、太陽が沈めば夜。今でも他の生物は、野生である限りそのサイクルを生きています。ところが野生をやめた人間は、太陽という火とは別の火を手に入れたと思い込んでしまいました。その上、火は作れるものだと考えだしてしまいました。1日のサイクルを変えたつもりになり、時間を発明できたつもりになったのです。

私見の、エゴの前身は火であり時間の中にいたことは先に述べています。生物が生きようとする反応を本能と言っていいのなら、ヒトはその本能に火と時間を加えて人間になったのです。エゴが、人間の脳の同居人になった瞬間です。